この一年、貴方へ恩返しするには

まだ、少し足りない






  ひととせ






橙色の空を、黒ずんだ深緑の山々の向こうに見ながら歩く。

川べりの道、いまだ帰らぬその人を探して。


「当てもなく」ではなく、「この辺りにその人は居るのだろう」と検討がつくのは、寄り添った時間の長さゆえ。



「近藤さん」



案の定、その人はそこに居た。

もう何度も連れ立って昼寝をしに来た、土手の下、向こう岸に植わる大樹がこちらまで影を落とす水際。

丸まった背中の纏う白色の着物が、夕暮れの薄暗い光の中で淡いねずみ色に変わっている。



「近藤さん」



もう一度、やや大きな声で呼びかけると、じっと水面を見入るように俯いていた頭がゆっくりとこちらを向いた。



「おう、トシ。」



柔らかく崩れる表情と、耳に心地良い低音の声。

もう慣れたはずのそれに、それでも俺は真新しいような感情の昂りと共に目を細めて、短い草の生い茂る土手を下りた。



「もう飯の時間だぞ。何道草食ってんだ。」

「んー? 今何時?」



日の出と共に起き、日の入りと共に活動を終える田舎道に、時計なんてない。



「もう大分前に六つの鐘が鳴ったろ。」

「そうだっけ?」

「そうだよ。」



己の体内時計で動くその人の隣に、俺は呆れてしゃがみ込む。

するとその人は再び立てた膝に顔を沈めて、水面を眺め始めた。



「魚?」

「あぁ。ホラ、その石の陰。」



指差されたその先に目を遣ると、樹の枝と俺の影で暗がりになった水の中に、腹の足しにもならないようなほんの二寸ばかりの
小魚が群れ泳いでいるのが見えた。

魚を見て真っ先に食う事を連想してしまうのは、貧乏道場の門人である性か。



「可愛いだろ。」



──もっとも、その貧乏道場の次期当主には、そんな浅ましさなど微塵も宿ってはおらぬようだったが。



「・・・ガキじゃねーんだからよ、魚なんかで時間潰してんじゃねーっつの。」



その純粋さの前でなんだか急に己が恥ずかしくなり腰を上げると、草履履きの爪先に何気なく当たった小石がその魚群の泳ぐ
水に波紋を落とし、水底の泥を煙のように舞い上げて──魚群は散った。



「──っと、悪ィ。」



咄嗟に口をついた謝罪の言葉は、逃げ惑う魚に?

それとも、隣にしゃがむその人に。



「大丈夫だよ。」



宙に浮いた言葉を受けて返したのは、人間の言葉を操るその人。



「え?」

「大丈夫。見てなよ。」



否、人間の言葉で代弁された、魚の言葉か。


促されて再び膝を折ると、泥の濁りの治まっていく水に──集った。

バラバラの方向に散ったはずの、魚達が。



「ほら。」

「・・・何で──分かったんだ?」



まるでその魚群の父親の如く優しい眼差しを水面に向けるその人に問うと、膝に預けられた顎がくるりとこちらに向き、
その上の口が、はにかんだように白い歯を零した。



「・・・勘。 なんかそんな風に思っただけ。」

「はぁ?」

「だってずっと見てたけどコイツら全然離れる様子ねーんだもん。だから何となくまた集まりそうな気がしただけ。」



照れを隠すように早口にまくし立て、その人は徐に腰を上げた。



「帰るか。」

「・・・なんだよ。」

「え? もっと見てたい?」

「そうじゃなくて。」



出稽古帰りのその人は傍らに置いていた竹刀と防具を肩に担ぎ上げながら、不思議そうに丸く見開かれた目をこちらに向けた。



「随分長居してた割にはあっさりしてねェ?」

「・・・うーん、だって腹減ったし。」

「・・・もういい。」



出会ってもう二年が経つのに。 体を重ねてからもう一年が経つのに。

まだ、この人はよく分からない。



「どうしたんだよ、トシー。」

「別に。」



分からなくて、置いていかれるようなその感覚が悲しくて。

だから俺が、あの人にとっての不可解になってやりたくなる。


土手を駆け上がり、早足気味に、来た道を戻る。

少し後ろから付いてくるその人の足音に、じっと耳を傾けながら。



「・・・トシー、」



その足音が僅かに早まり、俺の横に並ぶ。

俯く視界の端に、俺より一回り大きな草履履きの足が入り込んだ。



「ゴメン、俺さっきちょっと嘘ついた。」

「・・・あ?」



その言葉に、速度を少し落とす。

その人の声が、足音にかき消されぬように。



「嘘って?」

「うん・・・さっきの魚さ、ホントは戻ってくるか分かんなかった。」

「推測だったんだろ? アンタちゃんとそう言ったじゃねェか。」

「そうじゃなくてさ、」



不意に、体の横で振っていた右拳の動きが止まる。

包み込むような、温かな感触と共に。


その人に、掴み取られたのだった。



「そうじゃなくて、『また戻ってきたらいいなー』って、願望。『推測』じゃなくて。」



手首を掴むその手が、拳を握った形だった俺の手を、解すように開かせる。



「なんかそんな姿が俺達みたいでさ。・・・んで、俺も戻りたいなーって、思った。」



掌が重なる。

指が絡まる。

強く、強く、握る力。

硬い皮膚越しに伝わる、脈の拍動。



「・・・離れ・・・ねェよな?」



こんなにも強く握っていてくれる大きな手に、それでも俺は弱気になって確認する。

俺という魚の寄る瀬は、もうここしかないから。



「離したくねェから、こうして握ってんだろ?」

「・・・うん・・・」



握られた手が引き寄せられ、稽古でくしゃくしゃになった袴に触れる。

ぴたりとくっ付く太い腕から、新たな熱が伝わる。



「・・・離れねェよ。俺がちゃんと握っててやるから。」



足元に視線を落とすと、いつしか俺の方が半歩後ろを歩いていた。



「・・・頼むぞ?」

「ああ。」

「・・・アンタが居なくなったら、困るからな?」

「俺だって、」



繋いだ手が離れる。

不安に顔を上げる前に、その手が肩を掴み──その力によろける前に、大きな胸板に受け止められる。



「俺だって、トシが呼びに来てくんなかったら一晩中魚見てたぜ、きっと。」



冗談交じりに弾む声が鼓膜を震わせるより先に、密着した背中が低い振動を感じ取った。



「・・・うん。」



大きな体に後押しされるように、家路を踏みしめる。



「あー、今日も疲れたー。」



肩に寄り掛かられる体重は、まだ少し苦しい。



「今日の夕飯何ー?」

「メザシ。」

「またー? たまにゃァもうちょっと身の厚い魚ねェの?」

「食いたきゃもっと稼いでくれよ。アンタが俺ら養う身なんだからな?」

「うー・・・そうでした。」



アンタが稼いできてくれりゃぁ、俺がそれで上手く食わしてやるから。

くたくたになったその体を、ちゃんと受け止められるようになってやるから。

だから、今は──



「ホラ、ちゃんと歩けっての。」

「おんぶ。」

「できるかよ。」

「やる気があればきっとできるはずだよトシくん!」

「やる気があればきっと歩けるはずだ勲さん。」



今は、もうちょっと自分の足で頑張ってくれ。


いつかきっと、アンタの足になってやるから。

その大きな体を支えて、持ち上げて、少しでも楽させてやるからな。


とりあえず、もう一年、待ってみてくれ。



(了)


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ううむ。

テーマは「付き合って一年が経った」的な感じだったのですがあまり関係なかったですね・・・。(汗)

私設定では「近土出会う→一年後付き合い始める(体の関係有り)→そのまた一年後、この小説の舞台」
みたいなつもりです。
そして恋愛感情入りで付き合うまではまだ、ほら・・・あの・・・狂犬みたいな部分あるじゃないですか。
なのでちゃんと付き合いだしてからがホントの恩返しかな、という思いで、あの冒頭のフレーズ付けてみました。

でもお互いの必要性の再確認と「副長・土方十四郎」の目覚めみたいなものが描けたのは
それはそれで楽しかったです。 あ、あと「大黒柱・勲」ね。(笑)

勲はやっぱり「父親キャラ」で「頼れる存在」であって欲しいな〜という、まぁいわば私の願望
丸出しの小説なのでした。

アレ? こんなんでいいのか?(←今更)