この澄んだ水のように

貴方を見つめる思いも、透き通って






  純情  






「トシ、天気もいい事だし散歩にでも行こう。」



近藤さんがそんな提案をしてきたのは、二人で稽古の後の昼食を終えた、良く晴れた日の午後の事だった。

大先生夫婦が温泉旅行に出掛けてしまった近藤家は俺と近藤さんの二人しかおらず、「天気もいい事だし」午後はのんびり昼寝でも
しようかと思案していた俺は、思わぬその人からの言葉に、喉まで出かけたあくびを慌てて飲み込んだ。



「あぁ? 天気がいい・・・っつーかむしろ暑いぐれーじゃねェか。ここで大人しくしてようぜ。」



腹も満たされ、すっかり頭も体も睡眠の準備が万端だった俺は、さっさと居室へ逃げてしまおうと空になった近藤さんの膳を自分の
それに重ね、土間の洗い場へ運んだ。



「そんなつまんねー事言うなよ〜。ったくトシは出不精なんだからなぁ。」

「暑いのが苦手なだけだ。晴れ過ぎなんだよ、今日の空は・・・」



格子窓から外の様子を眺め、まるで真夏のように強い日差しを振り撒く雲一つ無い空の青さに、俺は軽く苛立ちながら皿を洗いにかかった。



「こんなに晴れてる日ってのもそうそう無いだろう? な? ちょっとその辺までだから・・・」

「そんなに行きてェんなら総悟でも誘えよ。」

「総悟は今日ミツバ殿と江戸まで買い物に行くんだと。」

「他の奴らは?」

「連休中だから昨日から実家に帰しちまってる。」

「連休って・・・道場別に暦とか関係ねェじゃねーか・・・」

「とにかく!」

「?」



なんとか逃れる言い訳はないかとだらだら押し問答を繰り返していると、俺は近藤さんの声がだんだんと近付いてきている事に気付き、
クルリと背後を振り返ると同時にほんの目と鼻の先に立っていたその人の姿に、思わず手の中にあった湯呑みを取り落としそうになった。



「わっ! な、何だよ・・・ビックリすんなぁ。」

「何ではぐらかすんだよ。俺はトシと一緒に行きてェって言ってんの。」

「・・・」



湯呑みを洗い籠に入れ、帯に挟んでいた手拭いで濡れた手をざっと拭くと、俺はじっとこちらの反応を窺っている近藤さんからそれとなく
目を逸らし、ポリポリと頬を掻いた。


去年の夏からアッチの付き合いを始めて一年近くが経とうとしているが、いまだにこうして面と向かって名指しで誘われるというのは、
嬉しい反面妙に照れくさい。



「・・・んな事言われても・・・外、暑い。」



素直に誘いを受けず、ついしつこく毒づく。
「暑い」だなんて黒い着物なんかを好んで着ている奴が吐く資格のある台詞ではない気もするが。



「じゃあ川に行こう。」

「川?」



いい事を思いついた、とでも言うように近藤さんの顔がパッと明るくなった。



「水場なら外でも幾分涼しいだろ? 林の方まで行きゃあ木陰なんかもあるだろうし。な?」

「あ、あぁ・・・じゃあ・・・」



弾んだ声に圧倒され、ついつい根負けしてしまう。


そうして俺は、その大きな手に、引かれた。




*****




人通りの少ない田舎道は、白昼堂々男二人が手を繋いで歩いていようが何ら差し障り無く、俺達を川べりの土手まで運んだ。
(もっとも、農作業をする爺さん婆さんなら何人か見かけた。向こうもこちらも互いに何の反応も示さなかったけれども。)


川は下流へ行くに従って広く、開けたものになっており、一方上流は川幅も狭く対岸が林の陰になっているため比較的静かな場所だという
ことで、俺達はそこを目指して歩を進めた。



「トシ、暑くないか?」



近藤さんが繋いだ手を上下に振り、一歩後ろを引っ張られるように歩く俺に訊いた。



「暑ィよ。暑ィに決まってんだろ。」



近藤さんの折角の誘いだからと来てはみたものの、「暑さ」というものは気合だけでどうにかなるものではない。

「大丈夫だ」などと世辞を言う余裕も無く後悔と不快感を存分顕わにした顔で答えてやると、近藤さんは「う・・・」と苦々しげな表情になり



「く、黒い着物なんか着てるからだろぅ・・・?」



と恨みがましく呟いた。 やはりそこを付いてきた、か。



「けどまぁ、もうすぐ着くからな。」



しかし半ば無理矢理連れてきた事に多少罪悪感もあるのだろうか、その人はすぐにいつもの笑顔に戻り、額に浮いた汗を拭った。



「近藤さん」



腰に挟んだままだった手拭いを取り、綺麗に髷を結ったこめかみを流れる汗を拭いてやる。



「アンタもやっぱり暑いんじゃねェか。」

「あぁ、思ったより日差しが強かったなぁ。はは・・・」

「ったくしょうがねェなー。」



そのまま首筋辺りも拭ってやると、近藤さんはニヤニヤと面白そうな目をして俺を見た。



「・・・何だよ、変な顔して・・・?」

「トシ、奥さんみたいだな。」

「!」



はあ? 突然何を言い出すかと思えばこの男は。

「奥さん」と言うより「母親」気分なんですけど・・・。



「俺もトシの汗拭いてやろうか?」

「いらねェ。」



アホらしい。

俺は繋いでいた手を振り払い、両手で手拭いを握ってガシガシと顔を拭いた。



「あ、トシ怒った〜?」

「別に。」

「ごめんよ〜。」

「だから怒っちゃいねーって・・・」

「じゃあ、」



と言って、また俺の手を取り、満足そうに笑う。



「・・・別に手ェ繋いでなくたってちゃんと付いてくって。」

「分かってるよ。」

「・・・」

「繋げるうちは、いっぱい繋いどこうぜ。」



未舗装の道をざりざりと踏みしめながら、近藤さんは相変わらず俺の一歩先を歩いている。



「・・・何だよその言い方。そのうち繋げなくなるってのか?」

「そうならねェように、こうして繋いでおくんだ。」



じんわりと汗の滲む手が、一層強く握られる。

その感覚はしっかりと伝わってくる。
なのに、ふと、前を行くその背中が不意にスッと消えてしまいそうな錯覚が目の前をよぎり、俺はぞっとした。



「そんな事言うなよ。縁起でもねェ・・・」



広い背中を俺に見せるこの人は、一体何を悟っているのだろう。



「んー? いや、ゴメンゴメン。ほら、もう着いたから。」



そんな俺の不安をよそに近藤さんはのんびりとした声を発し、顔を上げると左手にまばらに茂った林と、良い具合に下生えが植わって日陰が
できている河原が目に入った。

土手を下り、草履を脱いで心地良い冷たさの浅い川を渡って俺達は対岸の木陰に腰を下ろし、濡れた足を投げ出した。



「ふーっ、結構歩いたなぁ。久々に来たから『こんなに遠かったか?』って思っちまったよ。」



繋いだ手はまだ固く握られたままで。



「トシはここ初めてか?」

「・・・あぁ、こんな上の方まで来んのはな。」

「なかなか涼しくて良いトコだろ?」

「あぁ・・・」



ひんやりとした木陰で、繋がれた手だけがぽうっと熱を持っている。



「・・・トシ? どうかしたか?」

「え?」



日を受けてキラキラと光る川をぼんやり見つめていた目を隣に移すと、近藤さんは不思議そうな顔でこちらを覗き込んでいた。



「疲れたか? まさか暑さにやられちゃいねーだろうな?」



言って、空いた手で額や頬に触れ、熱が無いか確かめるその手が変わらず優しい。



「なんか元気ねェなぁ。 ・・・あ、もしかしてさっき言ってた事まだ気にしてる?」



図星だ。

けれど、その話題に触れるのが怖くて、俺は曖昧に首を振ってじっと押し黙っていた。



「いや、別にビビらすとかそういうつもりじゃなかったんだけどさ〜。」



苦笑して、あやすように繋いだ手を揺すってくる。



「ホラ、ちょっとカッコつけて難しい事言ったつもりだったんだけど・・・冗談に聞こえなかっ、た?」



手を膝元に引き寄せられ、両手で包み込まれる。

俺の気持ちを確かめるように、俺の返事を促すように、ゆっくりとさすられて。
俺はふっと息を吐いて口を開いた。



「・・・笑えねーんだよ。」

「え?」



ダ、ダメ? とまるでネタを評価された芸人かのように何故かあたふたと俺の手を揉み始めるその人の姿に、俺はもう一度溜め息を
零した。



「アンタの冗談はさ・・・」



脱力してその肩に頭を預ける。



「冗談に聞こえねェから心臓に悪ィんだよ・・・」



無駄に不安にさせやがって。

非難の念を込めてグリグリと額を押し付けてやると、近藤さんは俺の心中を察してその意味を解したのか、くすぐったそうに身を捩った。



「何だよ〜。そうか? トシしっかりしてそうなのに結構騙されやすいんだな。」

「違ェよ、アンタだからだろ。」

「え?」



握られていた手を離してその膝の上にゴロリと寝そべると、大きな手が下りてきて髪を撫でた。



「どういう事?」

「・・・アンタの言う事だから。だから馬鹿みてェに何でも信じちまうんだよ。」



こんなにも純粋なこの人の前にいると、相手をする俺は疑うことを忘れちまう。



「・・・そっか。悪かったな。」

「だからさ、」



強い日差しで逆光になった顔を見上げる。



「あんまり意地悪ィ冗談言っていじめねーでくれよ?」



アンタが居なくなったら、なんて想像しただけで目の前が真っ暗になっちまうんだ。



「あぁ、分かった。」



呟くその唇が近付いてきて、柔らかく重なった。



「・・・こんな美人妻を心労でやつれさせる訳にはいかねーからな。」

「あたりめェだ。やっと気付いたか。」



キッといつもの鋭い眼差しを浴びせ、すぐに緩める。

見下ろしてくる愛しいその人の目も、笑みの形に細められていたから。



(ったく男前なんだからな、この人は・・・)



今更に胸が高鳴って。



「もう寝る。ずっと眠かった。」



気を抜くと赤らみそうな顔を隠すように、その腰に抱きつく。



「え、ちょ、待っ・・・こんなトコで膝枕で寝られたら足痺れるから!」

「うるさい。寝る。」



日が翳るまでこんな顔見せらんねーよ。


女みてーに頬染めたこの顔なんて。





(了)




───────────

・・・はい、何コレ?(どーん)


甘々のつもりがシリアスチックになったりギャグになったり収拾ついてませんね。(汗)


「夫婦でありながら恋人達のような初々しさもあったりでまだ二人ともお互いの心を知るのに四苦八苦」
みたいな可愛らしい二人を書きたかったのです。 これでも勲は二十歳超えてるんですけどね。(笑)


なんだか色々と中途半端ですが一応これで終わり・・・と思います。 スイマッセーン。

春なので脳が湧いてしまった可哀想なカップル+私だと思って大目に観てやって下さいまし!(逃)