「適材適所」の道理には勝てない。

たとえ──望み通りにいかなくたってさ。






  交差するは密やかな願望   第6話






大理石の洗面台、新鮮な花々の生けられた花瓶、塵一つ──陰毛一本落ちていない清潔な床。

結婚式場の厠、その用途に似合わずピカピカに磨かれた小便器の前で、俺は万事屋の旦那と共に用を足していた。



「左手にちょっとかかりました、どーぞ。」

「便器からこぼれました、どーぞ。」



先刻のトランシーバーでのやり取りよろしくふざけた実況を告げる旦那に、俺は骨折している右足を後方へ浮かせながら同様の実況を返した。


トランシーバーでのやり取り、骨折した足。
それはいずれもあの人──我らが局長近藤さんが、愛する女の笑顔を取り戻し、その女と結ばれる事を願うが為。


その願望が俺自身にとって有益か無益か、そんな無粋な事は考えない。
俺はただ──いや、俺だけではない。 あの人の事を密かに思っている奴なら誰でも、あの人自身の幸せを一番に願う。


あの人が先の戦いで求めた事ではないが、あの人が笑顔でいてくれさえするのであれば、自分の恋などたとえ片思いに終わろうがどうだっていいのだ。
そんな思いで今まで、あの人を傍で支えてきたのだ。


だから、俺は今日という日をまだ諦めない。



「旦那、その後姐さんの様子はどうなんです?」



姐さん──志村妙。
俺と同い年でありながら、俺とは違ってあの人から恋愛感情を寄せられる羨ましい女。



「あー、やっぱちょっと元気ねーみたいよ。女はめんどくさくてよくわからんわ。」



訊かれた旦那は、いつもと変わらぬ間延びした声で淡々と答える。

深刻さの無い、第三者の視点。



「これじゃ近藤さんが報われねーや。」



知らず、いささか語気が強まった。



「姐さんの笑顔見るためだけに頑張ったってのに。」

「心配いらねーよ。勝手に落ち込んで勝手に立ち直るのが女だ。」

「そっちじゃねーですよ。」



旦那がその二十数年の人生で女の何が分かっているのかは知らないが、そんな事どうだって良かった。



「このまま猿の惑星行きじゃ報われねーっつったんですよ。」



そう、まさに式進行中である今夜中にどうにかそれをぶち壊す事ができれば。
志村妙を近藤勲の正式な許婚として松平のとっつぁんや皆に宣言する事ができれば、希望の光はまだ消えない。


極論すれば、あの女の意志なんてどっちだっていい。

せめてあの女に近藤さんと結ばれるに相応しいそれだけの恩を、真っ当な理由を背負わす事ができれば。
そしてそれを口実に、少しの間だけでも大人しく言いなりになってくれれば、協力してくれれば、きっと全ては上手く行く。


そんな作戦を胸に秘めていたからこそ、俺は仕事もサボり、嫌いなチャイナと手を組み、そして足を折られてまであの女を取り返す為に戦ったというのに。



「旦那、ホントに何とかならんのですか?」



俺の声色は、いつしか苛立ちから自分自身への怒りと悔しさに変わっていた。

愛する人の一生が掛かっている大事な時に、思うように暴れる事もできない体でただこうして旦那に頼る他に道を開けない歯痒さ。



「・・・そっちも心配いらねーよ。」



感情をなんとか押し込めたポーカーフェイスで右手を振り向くと、相変わらずぼんやりとした双眸で目の前の壁を眺めながら旦那は口を開いた。



「あの女、借りは返すぜ。」

「・・・え?」



一言、呟く旦那の声に何か力強いものを感じた瞬間──遠くで歓声のような怒声のような、とにかく波立つような騒ぎの音が上がった。



「・・・何だァ?」

「お前らなぁ、」



音のした方角から、近藤さんの安否が気に掛かって出していたものを下着の中に仕舞いかけた俺は、しかし旦那が何か続けようとしている言葉も気になり、
一先ずその場で大人しく聞く事にした。



「お前ら・・・アイツの事、血も涙も無い野蛮なゴリラ女であの王女様と大差ないとか思ってるかも知んねーけど、」

「そこまで思っちゃいませんよ。」

「お前、アイツと九兵衛の因縁、知らねーだろ。」

「?」

「アイツ、ガキの頃借金取りに責め立てられてたトコを九兵衛に助けられて、そんでそん時に負った傷で奴ァ左目やられちまって、その恩というか責任と
いうか・・・すっと感じてたんだってよ。」



普段周りの人間の事など無関心そうな旦那の珍しい饒舌ぶりに、俺は騒ぎの音を遠く聞き流しながらその横顔に見入った。



「まぁ、こんな言い方したら最初見た通り奴が嫌々九兵衛んトコに嫁いだように聞こえっけど、ホントにそれだけかって言やァ、んな事ァねーだろ。」



やや伏し目がちになった旦那の口元が、不意に緩む。



「やっぱり奴ァ九兵衛の事が好きだったんだよ。だからこそ、十年近く経った今回だって義理通したんだ。奴ァあれで根が真面目なモンだから、多少歪んだ
方へ走っちまったけどさ。」

「・・・旦那・・・」

「照れ屋なんだよ。恩売られても、素直に礼言って済ませらんねーんだ。だから逆に、奴ァ恩の売り方も良く知らねーんじゃねェかな、多分。」

「・・・そうですねェ。」



返す言葉が上手く見つからなくて、流れる沈黙の空気に、騒ぎの音が一層大きく聞こえる。



「──まァ、別にそれと今回の事とは全然関係ないんだけども。」

「・・・どうですかねィ?」



そんな空気の所為だか一転、熱く語ったあれこれを冗談で済ませようとする旦那に、俺はおどけたような笑みを返した。


冗談にしては出来過ぎている。

目が、真剣過ぎている。



キィ、



僅かに軋む音と共に厠の扉が開き、格段に大きな外の騒ぎがなだれ込み──また小さくなった。



「で・・・どうなの実際のところ?」

「姐さんは近藤さんのことどう思ってんの?」

「オメーらはホントに女心がわかってねーな。」



不意に左手から発声した耳障りな声が、旦那と俺へ返答する。



「ホレてる。嫌よ嫌よも好きのうちって言うだろ。ありゃ間違いなくホレてる。」

「・・・土方さん、今更のご出席ですかィ?」



隣に立っていられるだけで虫唾が走る男──土方の登場に、俺は改めて股間のものを仕舞い直し、そそくさと洗面台の方へ身を寄せた。



「アラ? そう言えばオメー居なかったな。てっきり旦那に捨てられてショックで寝込んじまってんのかと・・・」

「言ってろバカ。志村妙が式に来るっつーから送ってきただけだ。」

「姐さん来たんですかィ?」



洗った水浸しの手を土方の袂で拭きながら訊くと、奴は包帯でグルグル巻きになった顔を歪めて俺を払いのけ、「まぁな」と答えた。



「ほらやっぱり。銀さんの言った通り〜」

「・・・今回の事は関係ねーんでしょう?」

「違いますぅ〜。『関係ないんだけども絶対来る』って言おうと思ってたんですぅ〜。」

「どうせ土方さんが土下座でもして無理矢理引っ張ってきたに決まってまさァ。」

「ちげーよ。奴が自分から来るっつったんだ・・・」



どんな事情があったかは知らないが、俺はどうしても、志村妙が近藤さんに恋愛感情を持っているとは思えなかった。

先の旦那の話しぶりを聞いて、その思いは一層濃厚になっていた。



近藤さんでは、旦那に勝てない。


一般論ではない。志村妙に関しては、という条件付きでだ。

近藤さんはきっと、あんな風にあの女を知る事はできない。
知る機会が無かっただけだ、と言い訳してみても、その機会に巡り合わなかった時点で、違う星の下に生まれたという事だ。


自分の事を好きで好きで、何でも知りたいと積極的に領域へ踏み込んでこようとするストーカー男。
領域の外に居る癖に、普段は何も言わない癖に、本当は全てを理解して見守っていてくれる男。


傍に居て欲しい男はどちらかと問われれば、答えは歴然であるように思うのだ。


近藤さんだって、本当はただの厚かましいストーカーなんかではない。
俺や土方や、きっと多くの人間に対しては、旦那のような良い意味での距離感だって持っている。
だから、俺達は付きまとわれる疲れも感じず、かと言って極端な寂しさもなく、日々は上手く回っている。


なのに、あの女に対してそんな面が素直に出せないというのは、あの人のどこかが異常になっている現われだ。
そのせいで、応援してやりたい気持ちは山々なのに、やはりどこか──押し止めたくなってしまうのだ。


いっそ──旦那があの女の事を、どこかへ連れ去ってくれてしまえばいいのに、と思う。


ヤバイ。 俺はどうしても、天性の腹黒ひねくれ人間だ。



「・・・沖田さぁーん!!」

「ん。」



そんな事をつらつらと考えていると、突然バン、と勢い良く厠の扉が開き、山崎が転がるように倒れ込んできた。



「どうしたィ、一体何の騒ぎだコレ?」

「・・・沖田さ・・・ちょ・・・もうゴリラが・・・あっ、良かった副長も居る!」



ゼイゼイと息を切らしながら乱れた衣服もそのままに、山崎は土方を見つけるや半分涙目になりながら縋りつく。



「大変なんです、アネゴが暴れに来てくれたのはいいものの、近藤さんまでやられちゃって・・・」

「あァ? ったくアイツ何やって・・・」



不恰好なミイラ男が、苛立たしげに舌打ちをして洗面台に立つ俺の横をすり抜ける。

その背中は酷く必死で、格好悪くて、そのくせどことなく嬉しそうな、妙に生き生きとした軽やかさを振り撒いていた。


「あの女に対する呆れ」──なんてただの口実。
本当は、この時を待っていたんだろ? 自らの手で愛する男を助け出す、この時を。



(・・・チッ、何もかもいいトコ持って行きやがって。)



カツリ、と松葉杖を鳴らし、左足でゆっくりと地面を蹴り──一歩前へ進み出る。



(でも・・・良かった。)



奴の怪我が頭だけで。
あの人を担ぎ上げる手も、連れて逃げる足も、生きていて。


だって、きっとあの人もそれを求めていたから。


「トシが怒ってしまった」と泣きじゃくりながら病院へ押しかけてきた昨日のあの人を思い出し、一人苦笑する。



「・・・沖田さん、お、俺もあっち戻りますけど・・・」

「おう。さっさと行け。」



漸く息を整えてフラフラと立ち上がった山崎が、俺を振り返りつつ厠を出る。



「オメーも行かなくていいのか? 何か一大事みてーだぞ。」

「俺ァ・・・足がこんなんなっちまってますからねィ。」



別に後悔している訳ではない。

足をやられたという致命的な運命を辿ってしまったのは、きっと俺もまたアイツ──土方とは、違う星の下に生まれてしまったという事だ。



「あのミイラ男が・・・命懸けてでも何とかしてくれまさァ。」

「・・・フーン。じゃ俺面白そうだから見に行ってこよーっと。」

「待ちなせェ。俺も連れてって下せェや!」

「ぐわっ!?」



小走りに立ち去ろうとした旦那に、俺は手にしていた松葉杖をその場に放り捨て、その首に背後からしがみ付いた。



「ちょっ、テメッ離れろ! 重い!」

「嫌でさァ。俺達一緒にドSコンビ組んだ仲じゃねーですかィ。」

「忘れた。もうそんな遠い昔の記録冒険の書から消えたから。」

「じゃあ俺が耳元で復活の呪文囁いてあげまさァ。」

「いらねーよ気持ち悪ィ!」



走りながら、旦那は俺を振り解こうと目茶苦茶に腕を振り回す。

それが何度顔に当たろうと、しかし俺はしがみ付く腕を離さなかった。



(あの人の元へ行きたい。あの人に、会いたい。)



「しつこさ」は、「執念深さ」は、ずっと見て来たから。

見習う必要なんて必ずしも無いけれど、その折れない強さは、あの人の身をもった証明があるから。


その意味は、気持ちは、今なら俺にも、痛いほどに分かるから。





(続)


>>第7話へ



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そごたん視点の裏話でした。

銀妙なのか近妙なのかは皆様のご想像にお任せします・・・。


えと、そごたんの勲に対する批判・・・というか、前半ではその恋を応援しておきながら後半の方はなんだか辛辣な
言葉を浴びせているのは、そごたんの精神状態が変わったからだと思って下さい。

前半の方はとにかく勲を助けるためには形だけでも「近妙状態」が成立せねばならぬので半ば必死で、しかし
いざお妙さんが登場して一先ず何とかなるのではないかという状況になるや平生の冷静さを取り戻してやはり
無理なものは無理なのだと思い直したという事でひとつ。


あ、あとトシの「間違いなくホレてる」発言は建前というか嘘で。
勲の名誉のためにカッコつけてそういう事にしといただけです。

・・・と、このストーリーにおいては解釈して下・・・さ、い!(汗)


さて、いよいよ次回あたりで完結予定です。
最後はバッチリ近土でキメたいな!