※この話のみ三人称語りとなっております。予め御了承下さい。
単線に、肩を並べて 最終話
池袋が小休憩の為に西武宿舎のラウンジへ戻ってきた時、壁に掛けられた時計の針は午後の7時を指すところだった。
昼を過ぎた頃から、昨夜の睡眠不足のせいか少し眠気が出てきていた。
それでなくとも体力的に疲れや辛さの出やすい冬の時期だ。すっかり暗くなった夜空を舞い始めた雪にも閉口し、これから
終電業務までへ向けての小休止──というよりは、半ば「逃げてきた」というに近かったかも知れない。
朝の一件以来、昼間はずっと彼の男──秩父鉄道のことが、その頭にはずっと駆け巡っていた。
(情けない姿を晒してしまった・・・)
不覚にも涙を見せてしまった相手は兄弟分と呼べるほどに親しい仲の西武秩父であるが、それでも普段の自分らしからぬ
威厳の無さを思い出し、ソファーに腰を下ろしていた池袋は熱の上る顔を一人両手で覆った。
(だが──)
これはつい二時間半ほど前のこと。
その男の会社の者から池袋駅へ連絡が入った。
「旅客の営業運転を再開した」──と。
瞬間、思わず零れた溜め息は──平素その男に向ける呆れの溜め息ではなかった。
僅か一日での復旧。そこには、確かに有り得ないスピードへの呆れにも似た驚嘆もあったのだが──それ以上に、思った。
あの男は、無事だったのだと。
既に無事の報告は西武秩父からも聞かされてはいた。
しかし奴のことは──与えられた鉄路を、辺鄙な山奥と言えど、そこを確かに走る姿こそが──何よりもあの男らしいと
思っていたから。
だから復旧を伝える一報こそが、その男の、その男らしい日常への復活を告げる最たる知らせだった。
「あれ? 池袋、居たのか」
眠気と共にその嬉しさを思い起こしながらぼんやりと天井を見つめていると、不意に声が掛かった。
「──新宿、お前こそ居たのか」
ソファーから背を起こし、その目は温かなコーヒーを湛えたマグカップを手にした小柄な新宿の姿を捉える。
所沢で会うのならともかく、まだ終電業務も終わらぬうちに池袋の宿舎まで戻ってくるには珍しいその姿に僅か驚く池袋の
反応を見越したように、新宿は小脇に抱えていたファイルを頭の高さまで持ち上げて示した。
「今夜は雪の予報出てたろ。対策用のマニュアルが駅に見当たんなかったからさ、一旦取りに戻ってたんだ」
「・・・そうか。外はもう降り始めて来たようだぞ」
「マジで? じゃあ早めに戻らないと──」
言いながらマグカップの中身を啜って──ふと、何か思い出したように再び顔を上げた新宿がそのカップをテーブルへ
置き、池袋に向き直った。
「そう言えば、秩鉄復旧したって?」
「え──」
思わぬ人物から出た思わぬ単語に、池袋は一瞬戸惑った。
「な、何故お前がそのような事──」
「さっきそこの事務室のファックスに、そんな知らせが届いてたから」
「あ──・・・そう、か・・・」
新宿が隣の部屋を顎でしゃくりながら示したので、池袋は頷いて言葉を途切れさせた。
「脱線事故あったんだろ? それも昨日の夜遅くンなって知ったけど──」
「まぁ、新宿線系統には影響の無いことだ。何もお前が気にすること・・・」
「ごめんな」
「・・・え?」
「気遣ってやれなくてさ。昨日は」
僅かにトーンを落とした声で言われて、昨夜の一件が蘇る。
寝起きの目に飛び込んできた秩父鉄道脱線事故のニュース映像。顔から血の気が引いた感覚と、それとは裏腹に妙に
激しく鼓動していた心臓。冷たくなって震えた指先。
そして──そんな気持ちの動揺から来た遅延発生の状況を告げる新宿からの電話。
「あん時は──その、知らなかったから・・・さ。そっちがそんな大変な事になってたとか」
「いや・・・」
いつもは小生意気な口を利いていがみ合うばかりの新宿から出た反省交じりの言葉に、池袋はつい首を振った。
「人の気も知らないで──」、あの時は正直そう思った。しかし新宿が「人の気」を「知らなかった」ことは事実で
あっても──それを責めるなどとはお門違いも甚だしい。
「ホントは夜にでも言いたかったけど、お前業務が終わった後すぐ部屋に行っちまったから・・・」
「いいんだ。本当に、もう・・・気にするな」
言って苦笑に近いような笑みを浮かべると、新宿もそれより深く追及することはせず、またコーヒーを啜って飲みさしの
カップをテーブルに置いたまま、踵を返した。
「・・・あ、」
「何だ?」
──と、不意にその足を止めてぽかんと上向いた新宿に、池袋も俯きかけていた頭を再び上げた。
「・・・いや、まぁ、別に大した事じゃねぇし──」
「何だ、気になるだろう」
「いや、お前がさぁ──」
秩鉄の話して、何か大仰に嫌そうな顔したりムキんなったりしないの、珍しいな──とか、思って。
まっ、どうでもいいけどさ。
ごくごく軽い口調で言い放ち、そのまま手を振ってラウンジを駆け出して行ってしまった新宿の背中を何も言い返せずに
見送って──取り残された池袋は、また顔に熱が満ちてくるのを感じていた。
(やはり──喜んでしまっていたのか? 柄にも無く・・・)
西武秩父によって半ば強引に認めてしまった秩父鉄道への恋心。
その思いには、確かに偽るところもなかったが──それでもやはり「そう」なのだと定義付けて受け入れるにはまだ心を
防護する壁が硬くて、無意識に出てしまった自然な反応を再び押さえ込もうとするかのように、池袋は膝を抱えてソファーへ
寝そべった。
(・・・奴、今どうしているだろうか・・・)
それでも消せないその男の顔に、池袋はぎゅっと目を瞑った。
東京でこの雪だ。秩父の山奥ではもっと降り積もるのだろうか。
怪我、酷いのだろうか。寒さが傷に沁みたりはしないのだろうか。
奴は今──何を思っているのだろうか。
考え出したら切りなく頭を埋め尽くしてしまいそうな疑問の向こうで──その耳に何やら近付いてくる足音を知覚し、池袋は
ソファーから飛び起き、コートに付いた皺を手で払った。
「──な、何だ。何か忘れ物か?」
「池袋」
己の名前を呼んだその声は、新宿のものではなかった。
耳慣れたその低い声にコートの裾から顔を上げ──そして、その目に飛び込んできた男の姿に、池袋は絶句した。
頭に巻いたトレードマークの白いタオル。
その下から覗く冬でも日焼けした額に、テープで固定されたガーゼと青黒い痣が浮いていた。
力強い眉と、凛として己を見つめる瞳。荒い息を紡ぐ、いつも笑みを絶やさぬ口元。
その目尻や頬骨、無精髭をたくわえた顎のそこかしこに、瘡蓋が張ったばかりの痛々しい擦り傷が広がっていた。
羽織った上着が半分落ち掛かった右肩、そこから伸びる三角巾に吊られた右腕。
その前腕にはめられたギプスから覗く白い指先の爪が、所々ひび入って黒ずんだ血を滲ませていた。
「池袋──」
再び名を呼んでほっとしたように歩み寄ってくる秩父鉄道の到着を待たずして、池袋はソファーにへたり込んでいた。
「あ・・・」
悲鳴と呼ぶにも満たない呟きが唇から漏れる。
記憶の中にあったその男の姿からはおよそ掛け離れた凄惨さに、見開いた双眸から勝手に雫が零れ落ちて両の頬を伝った。
「──池袋、」
三度名前を呼んだその歩が早まって、体ごとソファーに倒れ込むようにして伸ばした秩父鉄道の無傷の左腕が池袋の震える
肩を己の胸元へ抱き寄せた。
「──大丈夫だ。だーいじょうぶだよォ・・・」
何でもないように笑い掛けてぽんぽんとあやす手つきで青いコートの背中を撫でながら、秩父鉄道は自分の両目にもどうしよう
もなく涙が浮かんできているのを感じていた。
自分はもう変わらず走れると、だからお前ももう涙なんて見せてくれるなと励まして、安心させてやりたいのに──これ以上
喋っては自分の声も震え出してしまいそうで、秩父鉄道はぐっと唇を噛み締めて池袋をただただ力強く抱き締めてやった。
もう会ってはくれないかもしれないとか、合わせる顔がないだとか、そんな気の迷いは何と馬鹿らしく贅沢な悩みだったろうか。
そんな気持ちの問題は二の次で、ここに存在する二つの命の、ただそれだけが何物にも替え難い幸せなのだと、初めて抱き
締めた体から伝わり合う熱が至極単純に物語っていた。
厳しい言葉ばかり吐き掛けられていた唇から漏れる、これも初めて耳にする嗚咽の声。
喜びも、怒りも、伝えたい思いをことごとく代弁するようにTシャツの背を掴んでくる弱々しい指先。
さらりとした金髪の間から覗く赤く染まった耳の先まで、全てが愛しいと思った。
どのくらいそうしていただろうか、漸く息遣いも収まってきた池袋の唇が何やらもごもごと動く。
ほとんど呼吸の延長線にあるようなそれを、秩父鉄道の耳は己の名を呼んでいるのだと確かに聞き取った。
「・・・何だ?」
鼻を啜りながら自分もやっと紡げるようになった声で訊ねると、池袋はまた少し押し黙ってTシャツを握り、それから一言だけ、
これも呼吸と紛うほどの小さな囁きで呟いた。
「死ぬな」
たった三文字のその言葉に、秩父鉄道は温かな心持ちになってそっと笑み、答えた。
「死んでねェよ」
ほら。
体を僅かに離し、頬をしたたかに濡らした涙を拭ってその唇にそっと口付ける。
柔らかで心地良い感触を名残惜しみながら顔を離して池袋の潤んだ瞳を見つめ直すと、その視線をふいと逸らされて両手で
胸を押し返された。
「馬鹿者」
心配してやる必要もなかった・・・。
ブツブツと恨み言を呟く横顔の、左目に掛かる長い前髪をそっと持ち上げようと指先を伸ばした秩父鉄道に、しかし池袋は
手厳しくそれを打ち払った。
「ここは貴様のものじゃない」
「お?」
「──勘違いするなよ、」
貴様が死んだら困るのは、軽井沢への延伸ルートがなくなるからだ。
堤会長の夢を達成するまで、貴様には西武の手足とならねばならん重要な任務があるのだからな。
ずびずびとした鼻声でありながら尚強がる池袋の言葉に、秩父鉄道はふっと破顔した。
嘘であり、同時に嘘ではないその思い。
そのどちらも真っ直ぐで、相反するはずのその思いは、きっとどこかで一つになっているのだろう。
迷いのない、たった一本伸びている単線のように。
「そんなに頼りにされてるたァ光栄だな」
「そうだぞ、堤会長の偉大さに感謝せんか」
分かっている。
単線では衝突してしまうから、決して正面切って向き合うことはできない。
──けれど、
「ああ。けどその会長さんが大事に守ってたお前のことも、同じくれェ大切に思ってっかんな」
「なっ・・・!」
正面切っては向き合えねェが、複線で擦れ違っちまうよりはいいだろう?
「西武池袋線は堤会長のものだ! 貴様のものではない!」
俺はいつでも駅のホームでのんびり待ってるから。
真っ直ぐな道を、お前がこんな風に頬染めながらやってくるのを。
そしていつか、俺も共にその道を歩けることを。
「元気になって良かったで」
涙の乾いた目元をそっと指の背で掠め、秩父鉄道はその大きな掌で池袋の頭をわしわしっと掻き撫でた。
その仕草ではっと我に返ったように掌の主を見上げて──しかし池袋は一人取り乱したことを決まり悪がるように俯いた。
「元気にならねばいかんのは・・・貴様の方だろう」
「だから俺ァもう大丈夫だって」
「馬鹿者。一日で治るような傷ではないだろうが」
「治すよ。もうお前を泣かせたくねェかんな」
「そ・・・そういう所が・・・馬鹿者だと言うのだ・・・!」
それでも内心、この男ならそれもやりかねんな、と池袋は思った。
そして同時に、それが自分の為であるのだとこうも胸を張って言われることがやはり恥ずかしいばかりで、顔を背けた。
(くそ、新宿の言った通りだ・・・)
どうしてこの男相手だと一々ムキになってしまうのだろうか。
──いや、分かっている。分かっているのだ。名付けたばかりのこの思いには、嫌と言うほど自覚はあるのだが。
きっとこの男に問うたりすると、何の婉曲もせず嬉しそうにこう言い放つのだろう。
そりゃ俺のことが好きだからに違ェねェな。 とでも。
だから相手にしたくないのだ。伝わらないのか、この複雑な思いまでは。
どこまでも直球勝負の、単線を走っているような貴様には。
ムキになってしまうのは、真っ直ぐなこの一本道に逃げ場が無いからだ。
「──はいはい、んじゃそろそろ結論出してくんねーかさ?」
突如として割り入った第三者の声に、池袋がビクリと身を震わせ──しかし顔を上げた先にあった、ラウンジの入口に
長身をゆったりと預けたその姿を認めた瞬間、至極強気になって眉間へ皺を刻ませた。
「西武秩父・・・貴様いつからそこに・・・!」
「あぁ、秩鉄が言った『池袋』の辺りからだなぁ」
「最初からずっとではないか!」
こちらもまたオブラートに包むことを知らない真っ直ぐさの西武秩父に(これは絶対わざとに違いないが)、池袋は
またも上気する頬と共に叫んだ。
「貴様らまとめて秩父に帰れ!」
「えー? でもなー・・・雪降ってきちまったしなぁ・・・」
「西武の路線が何を軟弱な事を言っている! 秩父鉄道、貴様も何か言ってやらんか!」
「でも俺も帰りたかねェなァ。お前の傍に居てやりてェかんな」
「不要だ! 貴様も帰れ!」
出口の方向をビシッと指し示して地団太を踏む池袋を、しかし二人の秩父組は実に微笑ましげな視線でもって温かく
見守って止まなかった。
「「ホントに可愛いなぁ、お前は」」
「だからっ! 秩父に帰らんか!」
「帰るよ。なぁ、西武秩父?」
「おうよ、秩鉄」
「・・・は・・・?」
「「明日の直通で」」
その夜、池袋はもう現場へは戻れなかった。
やけに悲痛な叫び声だけが、依然として雪を降らせ続ける帝国の夜空にこだましたとかしなかったとか。
(完)
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あの・・・なんか本当、 す い ま せ ん っ し た 。 (地面に額連打土下座)
完結までに何ヵ月要してるんだって話ですよね。
だってこれ・・・元々初めて書いた鉄道擬人化二次小説だったんですよ・・・。
なのにそこから始まって完結に至るまでに他に何本秩×池を書いてしまっていたことか。
そりゃ・・・話の終わりも見えなくなりますわ・・・。orz
あの、言い訳がましいですが本当に基本、真面目に書いたのですよ・・・。
ええもう泣きながら。池袋ばりに号泣しながら。
それがどうして最後こんなギャグテイストになってしまったのだか・・・僕もう疲れたよパトラッシュ・・・。
年の瀬にこんな意味不明なものをupして終わるとか・・・情けないですね。
でも正直に言います。
秩鉄+西武秩父×池袋の3Pとか超見てえ・・・!! (←死ねっ! 自分死ねっ!)
同志の方が「見てえ!」表明して下さったらR-18な番外編に挑むかもしれません。
無ければ初夢で見てやるんだ!
では、本当に・・・心からお詫び申し上げます・・・。
そして最後までお付き合い下さった皆様に、多大なる感謝の気持ちを。 どうぞ良いお年をお迎え下さい。