今でもこの舌は、はっきりと覚えている。
正月の味。 濃い口の出汁と、七味唐辛子の痺れ。
雑煮の味
「そーちゃん、お雑煮出来たわよ。」
小さな庭。 古びた草履。
色とりどりの蛇の目模様が描かれた独楽が綺麗に回った頃、姉上が呼びに来る。
「今行きまさァ!」
かじかむ指先に付いた僅かな砂を井戸水で洗い流し、縁側に上がる。
廊下の角を曲がる姉上の背を追って囲炉裏の間へ入ると、温かい空気と炭の燃える香ばしい匂いが俺を包み込んだ。
姉弟二人きりの、もう何度目かになる正月。
寂しさなんて、とうの昔に忘れた。
ここには姉上の笑顔があり、後で挨拶に向かう少し離れた空の下には、同じくらいに愛しい人の笑顔と、おまけの無愛想な顔が
もう一つ、俺達を待っている。
「さ、早く食べて道場へ行かないとね。」
「はい。いただきます!」
重箱は、もう何年も仕舞ったまま。
膝前の膳に載るのは雑煮の椀と煮物の小鉢、それと少し大きめの皿に盛り合わせられた、かまぼこ・伊達巻・黒豆・栗きんとん。
決して贅沢は出来ない暮らしの中で、それでも姉上が用意してくれた、ガキの俺向けのささやかなおせち料理。
甘い栗きんとんを口に含んで思わず綻びた顔を姉上に向けると、七味唐辛子をふって真っ赤になった煮物の里芋を頬張った姉上は
そっと口元を押さえて笑みを返した。
「おいしい?」
「ハイ! 毎年これが待ち遠しいです。」
「ふふ、良かった。」
椀の蓋を開けると、角がキツネ色に焼けた餅と甘辛く煮た鶏肉、おひたしにした菜っ葉に、唐辛子の赤い粒が浮いた出汁の注がれた
雑煮が湯気と共に顔を出す。
俺は姉上と違って辛党ではないけれど、囲炉裏に掛かった鍋の蓋の隙間から覗く雑煮の出汁は姉上好みに味付けられていて、俺は
否応無く、その味に従う。
別に嫌な訳ではない。
むしろ他の料理は辛すぎて手が付けられないので唐辛子は後から個別に掛けるよう頼む中、せめてこの辛味程度なら姉上と共有できる
から、と、俺が自ら望んでいるのだ。
二、三度吹き冷まし、ゆっくりとその出汁を啜ると、一年振りのぴりりとした痺れが舌に広がる。
「辛かったかしら? 大分抑え目にしたつもりなんだけれど。」
「いえ、おいしいです。」
少し固くなってしまったかも知れない笑みを作る俺の隣で、姉上は早速自分の椀に追加の唐辛子を振りかけている。
「やっぱり寒い時期だから、辛いもので体を温めないとね。」
ス、と目を閉じて姉上が出汁を啜るのを見計らい、俺は甘い黒豆を三つ、口に放り込んだ。
今でこそ激辛煎餅も難無く食えるようになったけれど、まだ十にも満たないこの頃はやはり甘味が手放せない。
けれど・・・
「うん、おいしい。」
上手くいったわ、と喜ぶ姉上を前にしてしまうと、俺はそっと豆を飲み込み、再び雑煮の椀を持ち上げる。
「姉上、僕にももう少し下さい。」
「あら、大丈夫? 無理しなくていいのよ?」
言いながらも、姉上の手はもう七味唐辛子の瓶をこちらに向けているから、
「大丈夫です。僕も道場に行く前にもうちょっと体温めておきます。」
「・・・そう、」
サラサラと、唐辛子の粉が餅の上に小さな赤い山を築く。
「はい、どうぞ。」
「いただきます!」
餅にかぶりつくと山が崩れ、僅かに舞った辛味の粒で目がしばしばした。
口直しのつもりで手を付けた菜っ葉も、鶏肉も、全てが唐辛子色に染まっていて最早味なんて何も分からなかったけれど、涙で滲む
視界の向こうで姉上が大層嬉しそうな顔をするので、俺はどうしても、箸を止められなかった。
「そーちゃんおかわりするでしょう? お餅、もっと焼いておくわね。」
「・・・はい。」
額に浮かぶ汗を手の甲で拭いながら、汗一つ掻かずに火鉢の上に載せた金網で餅を焼く姉上の横顔をチラと見遣る。
「お餅、近所の人達からたくさんおすそ分けいただいたから、そーちゃんいっぱい食べてね。」
体が弱くて食の細い姉上は、食べ盛りの俺や近藤さん達を見ると、とても嬉しそうな顔をする。
ほっそりとした腕で自分が食べきれない程の料理を一生懸命拵えてくれる姉上の心中を思うと、俺の体はいつの間にか激辛の雑煮を
全て平らげていた。
「姉上、おかわり。」
「はいはい、今よそうわね。」
俺より大きな、けれど華奢な姉上の手。
今でも忘れられない、燃えるように熱を上げる俺の体。
「沖田さん、どうぞ。」
「・・・オゥ。」
目の前に差し延べられる、骨張った男の手。
現実に引き戻される、姉上を失って初めての正月。
「総悟、どした?」
「・・・いや、何でもありゃァせん。」
思い出のままの声に呼び掛けられて、少し安らいだ身を現実に置く。
差し出された雑煮の椀を受け取ると、山崎が安心したように息をついた。
「昨夜の酒が抜けねェか? ダメだぞ、今日から休まず仕事あんだからな?」
「分かってますよ。」
床の軋む武州の実家とはまるで違う、華やかな江戸の街、がっしりとした真選組屯所。
むさ苦しい男達の集まる朝の大広間、隣に居るのは、あの日姉上と行った道場の主──になるはずだった男。
「三が日ゆっくりできねェってのにも、もう慣れちまったなぁ。」
「・・・そうですねィ。」
「どした? 何か元気ねェなァ。」
「そんな事ねーですよ。」
口ではそう言いながら、体は少し、そのぬくもり──近藤さんの方へ寄せた。
「俺達も早く食って行かねェとな。トシの奴ァもう先に出てるっつーから。」
正月二日、将軍様から新年の御挨拶。
その警護は当然俺達、真選組。
いつもより少し豪華な朝食、海老の姿焼き。
その脇に申し訳程度に添えられたかまぼこを口に含み、ぼんやりと咀嚼しながら箸先で海老の殻をつつく。
豪華な料理は、いまだに慣れない。
食えないとは言わないが、俺にとってはまるで味気なく感じてしまうのだ。
姉上との、あの温かい暮らしの思い出を手放せない俺には。
続いて含んだ伊達巻の甘さを舌の上に転がしながら、隣では近藤さんがイライラしつつ海老の殻や足と格闘している。
(可愛いお人だ。)
小さく笑いながら雑煮の椀を持ち上げ、縁に口を付けかけ、手を止めた。
透き通った出汁の色。
「・・・山崎ィ。」
「ハイ?」
「七味持って来い。」
「・・・七味・・・唐辛子ですか?」
「他に何があンでィ。」
「ハ、ハイ、ただいま!」
隊服に重ねて身に付けた割烹着を揺らしながら、山崎が台所へと走る。
「・・・七味?」
むぐむぐと海老の尻尾の飛び出る口を動かしながら、近藤さんが俺の顔を覗き込んだ。
「ミツバ殿はともかく・・・お前、そんなに辛いモン好きだったか?」
尻尾をむしりながら呟き、手を付けてない俺の海老に気が付いて殻を剥き始める。
「・・・正月は特別なんですよ。」
「・・・へぇ・・・。」
駆け足で戻ってきた山崎から瓶を受け取り、椀の中へ無造作に振りかける。
「うわ! 何してんスか!?」
一面が真っ赤に染まってしまった椀にドン引く山崎を尻目に、唐辛子の絡みついた餅にかぶりつく。
「・・・口の中が郵政民営化や。」
「はァ? お、沖田さん大丈夫で」
「口の、中が・・・郵政・・・」
ダメだ。
昔聞いた姉上の言葉を呟いてみると、辛味のせいだけではない涙が存外浮かんできて、俺は箸を投げ出した。
「・・・沖田さん?」
広間が途端に静かになってしまったのが熱で火照った頭でも分かる。
立てた膝に顔を埋め、俺はごまかしの言葉も、冗談で流す術も、何も浮かばないままただただじっと在りし日の姉上を反芻していた。
「・・・総悟。ホラ、民営化の味。」
あの日を知る近藤さんの声に促されて泣き濡れた顔を僅かに上げると、剥き海老に、その縞模様よりも鮮やかな赤が散りばめられて
差し出されていた。
顔と膝の間から細い海老を噛み千切る。
慣れない味は、確かな姉上の味に変わっていた。
「もうちっとだけ味わったら、行こうな。」
「・・・ハイ。」
目を閉じて、ぷつりとした海老の歯応えを噛み締める。
あの日のかけそばには海老天なんて豪華なものは載っかっていなかったけれど、まだ両親が生きていた頃の、もう少し豪華な沖田家の
おせち料理では、姉上もきっと、この味を楽しんでいたのだろうな。
俺にはそんな記憶殆どないけれど、今こうして、姉上の記憶を繋いでいく。
「総悟、この真っ赤になった雑煮ちゃんと食うんだろうな? 食べ物を粗末にしたらイカンぞ?」
「・・・大丈夫ですよ。」
これだけは、昔っからの、何よりの大好物ですからねィ。
(了)
───────────
小津安二郎風味でお届けしてみました。(えー)
・・・嘘です。小津映画殆どマトモに見た事無いです。勝手なイメージです。
お正月早々何だか暗いなーという感じもしないでもないですがそごたんは十分幸せ者だと思います。
勲という救いがあるのだから。
沖と近の関係では沖近でも近沖でもいいと思います。
沖近になるべき場と近沖になるべき場の両面をこの二人はバランスよく持ち合わせていると思うので。
依存とかそういう悪い意味じゃなくてね。
ぎんたまメンバーでお正月の風景を思い浮かべてみた時、一番あったかい感じがしたのが沖田家でした。
銀神(新八のいない万事屋)もなかなかほのぼのしてるかとも思ったのですがここは真選組贔屓で。
皆様も唐辛子のかけ過ぎには十分御注意下さいませ。(かけないかけない・笑)