溺れざまに掴んだ藁は

溺れる者にはなんと頼もしいことか






  交差するは密やかな願望   第5話






屯所からは隣町にあたる結構な距離の場所に、その建物──恒道館道場こと志村家はあった。

一時間以上は歩いただろうか。
正確な時間は計っていないので分からないが、傾いてなお日の高い昼間にガシガシと早足で歩いてきた額や首筋に汗が滲む。


この距離を、あの人はいつも女を求めて通っているのか。


そう考えると、その欲の強さに呆れるような感心するような──そして僅かな悔しさが、溜め息と共に転がり出てきた。



「ごめん下さーい。」



廃れた貧乏道場とは言えど、その建物は下手したら武州にある我らが近藤道場よりも大きいかも知れぬ立派なもので、その玄関の
引き戸を遠慮がちに開けながら、俺は中の者に声を掛けた。



「はーい! ・・・えっ、あ、ひ、土方さん・・・です、か・・・?」

「・・・ああ、」



そういえば顔に包帯を巻いていたのだっけ。

玄関口に佇む謎のミイラ男に怯える新八君に、俺は目元と口元の包帯を指で軽く押しやりながら、土方だ、と告げた。



「お、驚いた〜・・・! って、怪我の原因は僕達でしたよね・・・。」



本当にすいませんでした、と礼儀正しくペコペコと頭を下げる。

この気の弱そうな生っ白い少年を見ているとつくづく、本当にあの怪力女と血を分けた姉弟なのか、と首を傾げたくなるが、先日の
柳生との見事な戦いぶりを思い起こすと、やはり深い所で血は争えないものだと感じる。



「今日は何か御用ですか? まま、上がって下さい。」

「いや・・・」



促すように廊下の奥へと手を差し延べる新八君を制し、俺は手短に用件のみを告げた。



「お前の姉ちゃん──いるか?」

「姉上・・・ですか?」



予想通り、頭上に?マークの浮かんだようなキョトンとした表情で、新八君は反応した。

無理もない。近藤さんならともかく、俺が志村妙を求めてその自宅まで押しかけるなんざ、当然初めての出来事だ。



「すいません、姉上は今日お得意さんが来るらしくて、もう早めに店へ出ちゃったんですが・・・」

「ああ・・・」



仕事か。

それが為に、あの人はもう一つの居場所を見つけた。
それが為に、俺からは「去らぬ」も、ただ、「離れる」時間が増えた。



「あのー・・・姉上に、何か・・・?」



恐る恐る、といった風に、新八君が訊ねる。
こちらは何も言わぬのに、その姿勢は既に辞儀をするように、上体が幾分こちらに傾いでいた。



「あ、いや・・・別に文句言いにとかそんなんじゃねーから安心しろ。」

「・・・?」

「ちょっと──用がな。」



言葉を濁したくなるのは、その行動の裏に邪な真意を孕んでいるからだろうか。



「──じゃあ店の方を訪ねさして貰うよ。邪魔したな。」

「・・・あ、土方さん、」



クルリと翻った背に、呼び止める声が掛かる。



「あの・・・もしかして、近藤さんの事──ですか?」



遠慮がちに訊ねる声に、俺は振り返った。



「あの・・・今夜ですよね、披露宴。」

「・・・そーいや、総悟がお前達にも招待状出したんだってな。」

「はい、勿論行かせて貰いますけど・・・でも、ホントにいいんですか?」



何が?──と聞き返したところで返ってくる答えが怖くて、俺は口をつぐんだ。



「近藤さんが結婚する何とかオージョって人、僕見ましたけど・・・流石にアレは・・・あ、『アレ』なんて言い方失礼ですけど・・・」



あまりの奇妙な婚姻に心配を通り越して最早苦笑しながら、新八君は呟くように言った。



「・・・姉ちゃんにも、招待状届いたのか?」



触れたくない披露宴関係の事は全て他所に任せっ切りにしていたので、俺は一個人の興味として、訊ねてみた。



「・・・ええ、ウチには姉上と僕と二人セットの名義で届きましたけど・・・」

「来るのか? 姉ちゃんは。」



一段高い位置にいる新八君をじっと見上げてみると、その顔はまた前方に傾ぎ気味になって苦笑した。



「・・・一応言うには言ったんですけど・・・なんか、はぐらかされちゃって。」

「──いや、どっちみち、仕事じゃ来れねーか。」



わざわざ訊くことじゃなかったな。

そう言って自嘲気味に笑んで見せると、新八君も幾分和らいだ笑みを返した。



「じゃあ、今晩宜しくな。近藤さんも、お前らが来るの楽しみにしてるみてェだから、励ましてやってくれよ。」



踵を返して、俺は道場の門を出た。

結局新八君の問いには答えていない。

この最悪の状況を打破できるかどうかの見込みは、まだ確定していなくて。
つまり俺一人の力ではどうにもできない、その事実は告げたくなくて。


更に僅かに西へ傾いた太陽を見上げ、俺はかぶき町へと足を向けた。




*****




「いらっしゃいませェェ!! ・・・って、ギャアアアアア!! 何このミイラ男!?」



いつもは猫撫で声で擦り寄ってくる女の声が、悲鳴に変わる。



「恐っ!! こっち来ないでェェェ!! 悪霊退散!!」



江戸一番の男前、と常々世辞を言っていた女に、悪霊と罵られる。


悲しくはない。傷ついちゃいない。 女なんてこんなものだ。
ちょっと日頃とナリを変えて見せただけであっという間に愛想をつかせて去っていく。そんな現金な生き物であることはとうの昔に
知れている。



「土方さん、ご指名は?」



サービスなどという目に見えない商品をやり取りしている女達とは違う、冷静に金銭を扱うウェイターだけが、包帯の下に隠れた
俺という人間のアイデンティティーを見抜く。



「志村妙──頼む。」

「畏まりました。こちらへどうぞ。」



顔は包帯のせいで見えなくなっているも、俺は職業柄客層の中では上位に置かれるらしく、店のやや奥まったテーブルへ案内される。

まだアフターファイブにも満たない時刻から営業している店内──スナックすまいるには、もう隠居していそうな比較的高齢の客や、
反対に家の富貴に物言わせて昼間から遊びふけっているような、いかにも道楽者の若旦那風情の客など、およそ社会一般の時間軸から
はみ出たような者達がテーブルに着き、女達と酒を酌み交わしていた。



「只今お呼び致しますので、少々お待ち下さい。」



おしぼりと簡単なつまみ程度の物を出し、ウェイターが下がっていった。

ここへ来るのは、隊士連中と揃って志村妙に近藤さんと夫婦となるよう説得しに来て──例の柳生の若造と会った時以来か。
それを除くと、だいぶ久し振りにこういう店に「客」として来た。

もっとも、いつも酔い潰れた大将を引き取りに足繁く訪れてはいるせいで、もうすっかり店内の内装まで殆ど頭に入ってしまっているほどだが。

──まぁ、正確に言えば今日も別に酒と女を楽しむために来た訳ではないから、結局随分長らくこっちの世界とは関わりがないということで。



「お待たせしました。」



綺麗に巻かれたおしぼりの渦巻き模様を見ながらそんな事を考えていると、テーブルの向こう側に黒地に桜の花模様が散った着物が揺れていた。



「ごめんなさい、ちょっとお客さんが来ていたものですから・・・」

「いや、こっちこそ急で悪ィな。」



腰を預ける位置を僅か右にずらして促すと、志村妙はゆっくりとその隣に腰を下ろした。



「・・・今日は皆さん引き連れて、じゃないんですか?」

「ああ、皆それなりに忙しいからな。ちょっと個人的な用で来た。」



懐から煙草を取り出し、一本口に銜える。

それでもライターを差し出して来ないのは、この女らしいな、と思った。



「・・・そうですか、みんなは来れないんだ・・・。色々迷惑かけたからおわびをと思ってたんですけど。」



この女がおわび?

いつもはそう鼻で笑ってやるところだが、今日のコイツは確かにいつもの元気も愛想笑いもなく、俺は黙って煙草に火を点した。



「・・・私、最低ですよね。」



陰気は弱気を生むのか、志村妙は柄にもなく消え入りそうな声で呟いた。



「結局・・・勝手なことして・・・色んな人を傷つけてしまった。九ちゃんにも・・・みんなにも迷惑かけて・・・」



迷惑──か。
反省する気持ちは認めるが、迷惑だなんてそんな事これっぽっちも思っちゃいねぇだろうな。

少なくとも、あの人は。



「最後まで押し通すこともできないのに半端な気持ちであんな事して・・・私がした事は、結局誰のためにもならなかった。」



分かってんじゃねーか、この女。

結局人間の行動なんて、誰かの為だとか綺麗事言いながら、結局自分の欲求を満たすだけだ。
きっと相手も己の助けを望んでいるに違いない、なんて自分に都合のいいように思い込んで、突っ走って。

だって、そうやって勘違いでもしなきゃ怖くて仕方ねーじゃねェか。

誰にも欲されていない、誰にも施しを与える事ができない、そんな存在だって認めちまったら、気が狂いそうになるじゃねェか。



「・・・釈迦じゃあるめーし、目の前のもん全て救えるとでも思ってたのかよ。」



それでも、その勘違いのメッキはいつか剥がれて。



「幾ら骨くだこーが、救えるもんもありゃ救えねーもんもある。」



自分一人では越えられない壁の存在を知って。



「だからなんだ。そんなもんで折れる程お前さんの生き方はもろいもんだったのか。」



絶望して、必死に周りを見渡して。



「今・・・お前の言う半端な優しさでも救えるものがあるとしたら、お前、どうする?」



そして、手を引いて共に壁を越えるべく挑んでくれる者の、「助け」という手段を知る。



「・・・え?」



俯いていた女の顔が、俺に向く。

その表情は、やはりどことなく新八君に似てるな、なんてどうでもいい事を思った。



「招待状届いたろ。」

「・・・」

「今夜の、近藤さんの結婚披露宴の招待状だ。」

「・・・あぁ・・・」



今初めて知った、という顔ではなかった事に、俺はどこか安堵した。

この女が自分の取り返しのつかない行いに深く落ち込みながらも、その頭の片隅で少しでもあの人の事を思っていてくれたのなら、
もしも何もできなかったとしても、あの人は浮かばれるものだな、と思った。



「・・・なぁ、この披露宴ぶっ壊してくんねーかな?」

「え・・・」



ソファーに背を預け、半ば自棄になったような口調で言い放った俺に、志村妙は黒目がちの丸い双眸を向けた。



「お前さんにも見せただろ、あのゴリラの写真。・・・どっかの王女だか知んねーが、どう思うよ?」

「・・・私は・・・」

「今更気なんて遣うもんじゃねーぞ。率直に聞かせてくれりゃァいい。ぶっ壊してやりたくなるような関係に見えるか、お似合いに見えるか。」



短くなった煙草を灰皿に押し付け、グラスに水を注いで一口飲む。

煙草の煙によるだけの渇きではない。
感情では冷静を装いつつ、体は緊張を隠してはいなかった。



「・・・いいんですか?」

「・・・何が。」

「私が助けたりしたら、あの人また勘違いして私のこと尾け回しますよ?」

「・・・アンタには迷惑掛けてすまないが、」

「そうじゃなくて。」



僅かに語気を荒め、女は体ごと俺に向き直った。



「そんな事になったら、貴方いいんですか?」

「・・・どういう意味だ。」

「好きなんでしょう? あの人の事。・・・女の勘が、そう言うの。」

「・・・だったら尚更だ。」



また水を、一口飲む。



「あの人を、助けてやってくれよ。俺は手ェ出せねーんだ。アンタに割って入って貰うしかねんだよ。」

「土方さん・・・」



まだ半分ほど水の入ったグラスを、そっとテーブルに置く。

覚悟は、もうできている。



「頭下げれば、やってくれるか?」

「え・・・」

「山崎の頭じゃァ足りなかったみてェだが、俺の頭にもその価値はねェか?」

「・・・ちょっと、待って下さ・・・」

「頼む、この通りだ。」

「待って!」



ソファーから下りて膝をついた俺の腕を、志村妙の持ち前の腕力が引き上げた。



「そんな頼まれ方困ります。」



分かってる。 分かってるのに。

心臓の鼓動が、焦っている。
浅い呼吸が、怯えている。



「貴方の頭の重さなんて、そんな事どうでもいいんです。」



腕を離し、乱れた裾を直しながら、女はソファーに座り直した。



「私が動くのは、いつだって私の意志です。」

「・・・じゃあ、」

「行きます。行きますけれども──」



女の目には、いつしか活気が戻っていた。



「私は、恩を返しに行くだけです。そこは勘違いしないように、ちゃんとあの人にも言い聞かせておいて下さいね。」



華奢な草履がじゅうたん敷きの床を踏ん張り、その体がすっくと立ち上がった。



「行きましょう。式場はどちら?」

「あぁ、すまない、恩に着る。」

「着なくていいです。また面倒起こされても厄介ですから。いいからさっさと式場教えなさい。」

「分かった。じゃあ車を・・・」

「ちょっとちょっとお妙ちゃ〜ん!! いつまで他のテーブルに入ってんのォ!?」



立ち上がって店の外へ出ようとすると、ソファーの背の向こうにブクブクと肥えた肌の色が奇妙な──一見して天人と見て取れる
オッサンが不機嫌を露わにした顔つきでこちらへ歩み寄ってきた。



「ったくどんな奴の相手してるかと思えば何だこのミイラ男は!?」

「あぁ? ・・・っと、」



その男の纏っていたマントに幕府と通商を結んだ証である星型のバッジが付いているのに気が付き、俺は思わず気を抜いてメンチを
切りそうになったのをなんとか押さえ込んだ。

幕府の要人とあってはたとえ顔が割れなくてもどこかで足がついてしまうかも知れない。



「お妙ちゃ〜ん、どうせそんな顔隠してる奴なんかブ男に決まってるだろォ? 早く戻ってきてよォ〜ゥ。」

「・・・コイツ・・・ッ!!」



妙にねちっこい口調で罵ってくる天人に、俺は奥歯をギリギリと噛み締めて怒りに耐えた。



「オジサマ〜♪ すいまっせーん、今日はこのミイラとちょっと用事があるのでお引き取りいただけますぅ〜?」



と、拳を握りかけた俺の横を風のように歩み出た志村妙が、胸の前で両掌を合わせながらかわい子ぶって俺の前に立ち塞がるように
天人と向き合った。

流石プロだ。
一悶着起こしそうになる客の扱いにはなかなか長けている。



「そんなぁ〜! まだオジサン来たばっかじゃ〜ん!! もっと楽しもうよ・・・」

「お触り禁止だって言ったろコノヤロー♪」

「うぶっ!!」



天人の指先が突付くばかり肩に触れた途端、志村妙の拳が目にも留まらぬ速さでその顎を砕いた。



「さ、行きましょう。何か武器があったほうがいいかしら。」

「い・・・いや、その必要は・・・」

「店長ォォー!! 非常用のなぎなた一本借りていきますよォー?」



哀れ、指一本・・・どころか爪一枚触れただけで鉄拳制裁を受けた天人は白目を剥いて倒れ込んだままぴくりとも動かなかった。


恐ろしい。 恐ろしすぎる、この女。

けれどこれでこの志村妙という女が幕府の要人だろうがなんだろうが己の正義に反する者には容赦なく立ち向かうことが証明された。
味方につけるには抜群の戦力だろう。



「・・・お前さんも大変だな、あんな気持ち悪ィのにも付き合わなきゃなんねーなんて。」

「お金をたくさん置いていってくれるなら天人でもゴリラでもミイラでも構いませんよ? プロですもの。」

「・・・あ、そ。」



そうして俺達は店の外で適当な駕籠屋を拾い、もうあらかた準備も整いつつあるであろう式場へ向かった。


長い柄のなぎなたの先の刃が運転手のもみあげを数ミリずつ千切り取っている事にも気付かず、ただ、式のぶち壊しのみを
頭に思い描いて。





(続)


>>第6話へ



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はい、志村姉弟×トシでお送りしてみましたがいかがでしたでしょう。

自分ではなかなか妄想したり書いたりはしませんが、眺めている分には土新や土妙も好きです。
でもお妙さんって絶対18じゃないですよね。
人生の酸いも甘いも噛み分けてきた25くらいの感じで書いてます。(笑)


原作の台詞もふんだんに取り込ませていただきましたが、結果:土→妙の二人称がよく分からない
という事に。 「お前」「お前さん」「アンタ」の3種が使われてますね。
まぁその場のノリで使い分けてみましたが。

あとモノローグ内での新八の呼び方はいさおっちに倣って「新八君」にしておきましたが、
お妙さんはどうなんですかね。
なんとなくトシは「志村妙」とフルネーム呼び捨てな感じのイメージだったのでそれで通しましたが。


さて、次回は厠内での男三人の座談会・・・ならぬ立談会?話にする予定です。

沖+銀+土メインにするつもりなのでいさおっちの登場はもうしばらくお待ちを。