秩鉄:罪な男前  西武秩父:気遣いの人  東上:不憫な可愛い子ちゃん

この前提でお進み下さい。↓






  単線に、肩を並べて     第三話






右肩に鈍い痛みを感じて目を覚ます。

ぼやける視界の中、最初に知覚したのは自分が臥した姿勢である事。
そして鼻腔に届いた僅かに泥臭い畳の香りから、恐らくここは宿舎の自室であろう、という事だった。



(・・・あー・・・しっかし何だか・・・)



妙に頭がズキズキとする。
目を覚ましたせいで痛覚やその他諸々が鋭敏になってしまったのか、途端に全身の気だるさを感じ出した俺は
訳の分からぬその体の異常に不快感が込み上げ、瞼を下ろして深く息をついた。


再び薄く目を開け、視線だけでぐるりと天井を見渡す。

夜なのだろうか。それとも耳も少しおかしくなっているのだろうか。とにかくしんと静まり返ったその部屋には、
枕元に点けられた古びた電気スタンドの光でやや黄味がかった明るさを持つ闇が広がっていた。


それを確認して尚、俺の頭はすっきりとしない。
布団を敷いた記憶が無い。夕暮れを迎えた記憶も無い。それより遡ろうとしても──記憶は曖昧だ。


ただ、身を起こそうとしても腹筋や背筋にまるで力が入らず、手を着こうにもとりわけ右手は肩から手首に至るまで
何かしっかり固定されてしまっているのか、指先さえも上手く動かせない。

何らかの異常がこの身に起こった。この状況下に理解できたのはそれだけだった。



──と、その時、左手の襖がすっと開いた。

開いた向こうに明かりは無く、明度の低い電気スタンドの光に照らし出されたのは白い靴下と黒い細身のズボン、
そして前身頃の端に白い縁取りの入った青いコートの裾。


幾分霞んだ視界にも鮮やかに映るその見慣れた青に、俺は無意識に──



「・・・池、袋・・・?」



息を吐くように、そう呟いていた。



「──残念、」



するとその足はぐいっと膝を曲げ、大柄な背をかがめて俺を覗き込むように顔を突き出した。



「西武秩父だで。」



金色の髪がさらりと揺れ、その下にある双眸と口元がニヤリと笑みを形作る。

やや憎たらしげでやんちゃっぽいその顔はもう20年も毎日乗り入れを行っている西武秩父に間違いなかった。



「・・・あぁ・・・」

「池袋のが良かったか?」

「・・・いや・・・制服が、同じだろ・・・?」



だから間違えたのだと何となくそれらしい言い訳をしてみたが、それでも何故毎日会っている西武秩父ではなく
池袋の名を呼んでしまったのかは、自分でも良く分からない。

もしかしたら上手く回らない口で発音しやすかったのが「いけぶくろ」だったからかも知れない。
「せいぶちちぶ」って、「せ」も「ち」も舌に力要るもんな。


まぁ・・・関係ないか。



「しっかし声掠れてんなー。無理に喋んなくていいで。」



自覚したばかりの事を再確認するかのように奴が言う。
確かに口を動かすのも、腹に力を込めて声を出すのも億劫だった。


そんな気遣いの言葉を掛けられて再び体のだるさも思い出し、赴くままに目を閉じようとすると西武秩父が
俺の額の辺りに右手を伸ばしかけ──さっと引っ込めるのが見えた。



「──痛い?」

「・・・ん?」

「いや・・・ここもよォ、包帯巻かれてっから。」



奴の長い人差し指の先が右額の辺りを撫で、小指の方が髪の毛を掠める。



(あぁ、これタオルじゃなかったんか・・・)



額を何かが覆う感覚には慣れているが、髪の毛に触れられる事というのはあまりない。

改めて自分の身が通常と異なる事態に置かれているのを感じ、俺は搾り出すような低い声で西武秩父に問うた。



「・・・なぁ、」

「ん?」

「・・・これ・・・どうなってんだ?」

「え?」



西武秩父の目が驚いたように丸く開かれ、俺をまじまじと見返す。

しばらくそのまま沈黙が流れたかと思うと、奴は膝を着いて腰を浮かせた姿勢から胡坐を掻いて座り直し、何事か
考え込むようにやや下向きに視線を彷徨わせてから改めて俺の顔を覗き込んだ。



「・・・え、覚えてねェんかい?」

「だから訊いてんだろ・・・」

「え、マジで? あんなスゲェ事故だったんだで?」

「事故・・・?」



──あぁ、そうだ。

まだ解け残る雪を横目に見ながら三ヶ尻第3工場に向けて走らせていた21両編成の貨物列車。
太平洋セメントへ送る石灰石をシャラシャラと鳴らしながら制動試験を行ってみると、ブレーキが利かなかった。

流れる景色を横目に緩い勾配になった軌道を下りながら影森駅を通過し、辛うじて逃れた引込み線で──
やはり停車する事は不可能なまま、列車止めに突っ込んだ。


そこで記憶は途切れていたが、行き先の絶たれたレールを為す術なく──このままでは脱線すると分かっていながら、
それを待つしかできなかったあの恐ろしさと無念さを思い出し、体が僅かに震えた。



「・・・なぁ、」

「ん?」

「親方は・・・三村のおやっさんは、どうした・・・?」

「三村・・・? あぁ、運転士か。」



最悪の事態も想定して、ぐっと目を瞑る。



「・・・運転士は無事だ。脱線直前に飛び降りたってよ。」



その言葉に瞼を上げると、西武秩父は穏やかな笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。



「まぁそん時に軽く怪我ァしたみてーだけど・・・全くたくましいっつーかなんつーか、スゲーよな。」



緩く握った拳で口元を押さえながら、奴は今度は声を出して笑った。

その様子にいよいよ本当に無事だったのだと安堵して、再び目を閉じ深く息をつく。


嬉しかった。
俺という存在を支えてくれる大切な従業員を失わずに済んだという事は何ものにも代え難く、心から嬉しかった。



「・・・あー、でも・・・」



ひとしきり笑い終えた西武秩父がやおらその表情を収め、やや苦笑交じりに口を開く。



「旅客の運行は止まっちまったで。俺の直通も西武秩父止まりだし、今も夜通し復旧作業はしてるっつー事だけど・・・
貨物は当分無理だろうな。」



あぁ・・・コイツは良く分かっている。本当に俺という路線の性格を良く心得ている。


大都市との繋がりが殆ど絶たれたこの地で、それでもそこに生きる住民の暮らしの一部として働ける事を、俺が何よりの
喜びとし、誇りと使命感を持っているということ。

そしてそれが叶わなくなる事が、俺の何よりの悲しみであり、悔しさであること。



「・・・仕方ねェよ。それでもバスくれェは出せたんべ?」

「おう。秩鉄観光が頑張ってたみてェだで。」

「それならいいやな。」



俺は笑った。
笑うと頬の傷が引き攣れて痛みが走ったが、そんな事もお構い無しに自然と笑みは湧き上がってきた。



「あ、そうだ。」

「ん?」



西武秩父がポンと一つ手を叩き、腰を上げる。



「外に東上が来てるで。」

「東上が?」



相互乗り入れを一方的に打ち切るという酷い仕打ちを与えてしまいながらいまだに慕ってくれる可愛い弟分のような
存在であるそいつの名に、またも俺の表情は和らぐ。



「ホントはさっき秩鉄が目ェ覚ます前にもこの部屋に入ったんだけどよ、お前があんまり酷い怪我してるもんだから
顔見ただけでビビっちまって・・・」



でもこの様子ならあいつも安心すんだろ。

そう言って笑う西武秩父が一旦部屋を出ると、すぐにこちらへ駆けて来る軽い足取りが聴こえ、襖が開け放たれた。



「秩鉄!」



聴き慣れたその足音はやはり東上のもので、相変わらず貧乏で(人の事を言えた義理ではないが)あまり飯を食って
いないのか、細身の体が倒れ込むように俺の枕元へ寄せられた。



「あぁ──秩鉄・・・秩鉄、平気? 僕の事分かる?」



やや錯乱気味に泣きそうな表情で問い掛けてくるその顔は電気スタンドの粗末な明かりでもはっきり分かるほどに
血の気を失っており、俺は傷の浅い左手を布団から出すと、その頬を撫でるように掌を重ねた。



「分かるよ。東上だろ?」

「・・・秩鉄・・・!」

「俺ァ大丈夫だで、そんな顔するなィ。」



重ねた掌を、東上の冷たい両手がぎゅっと握り締める。

怪我人の自分よりも病的なその温度に、どれほど心配を掛けたのかと申し訳なくなって親指で瞼をなぞってやると、
奴はとうとうその目からポロポロと涙を溢れさせてしまった。



「あぁー・・・泣かすつもりじゃねかったんだけどなァ。」

「・・・ご・・・ごめ・・・」

「おー、やってるやってる。」



東上の肩越しに、盆に茶を淹れた湯飲みを載せて運んできた西武秩父が姿を現した。



「東上はホンット秩鉄馬鹿なんだからな〜。」

「馬鹿って言うな! 西の泥棒猫め・・・」

「あぁ? 西武で何が悪ィん。いがみ合うのは池袋だけにしとけィな、めんどくせェ。」

「先に突っ掛かってきたのはお前の方だろうが!」



ぎゃあぎゃあ言い合いながら、それでも西武秩父が湯飲みを差し出すと黙って受け取り一口茶を啜ってはまた悪態を
つく東上などを微笑ましく思いながら見遣っていると、西武秩父は俺の湯飲みを手にこちらを覗き込んだ。



「秩鉄も飲むけぇ? ・・・っつっても起き上がれねェか。」

「いや・・・」



東上の頬から手を離し、それを体の脇に着いてぐっと腹に力を込めながら身を起こす。



「・・・ぃ・・・ってて・・・」

「秩鉄! 無理しないで・・・」

「・・・無理じゃねェよ。」



俺は起きなきゃいけねェんだ。

沢山の人間や路線に迷惑をかけて、心配させて、いつまでもこうして寝てなど居られない。



「俺の馬力を甘く見んなよ? 旅客は大した事ねェが、貨物は20両引っ張ってたんだ。」



つい十数時間前までは。そしてこれからも。



「・・・あぁ、それでこそお前らしいで。」



西武秩父が湯飲みを差し出す。

左手を布団に着いたまま、右手は三角巾で吊られていたので受け取れずにいると東上が代わりにそれを受け、俺の
口元まで運び、ゆっくりと傾けて飲ませてくれた。



「有難う。東上にゃ世話んなってばっかだな・・・」

「そんなこと・・・! 俺が勝手に・・・秩鉄の傍に居たいだけで・・・」

「そう思ってくれんのが、有難ェんだよ。 ・・・西武秩父も。」



視線を移すと、西武秩父は「ん?」と湯飲みから顔を上げ、目が合うや恥ずかしそうに笑いながら「そスか。」と
おどけたように肩を竦めて見せた。



「そう言えば・・・」



池袋は来てねェんか?


俺は覚醒した冒頭に立ち返り、無意識ながら真っ先に浮かんだ奴の名前を口にした。

問い掛けた二人のうち、東上の眉が僅かにピクリと寄せられる。



「・・・どうなんだ、西武秩父?」



その東上がややぶっきらぼうに隣のそいつへ問い直すと、西武秩父はこちらも眉を寄せてしばし唸りながら考え込み、
困ったように頭を掻いて口を開いた。



「いや、一応俺んトコに事故の知らせが入った後すぐ連絡して、その後も直通の状況とか色々伝えたんだけどよォ・・・」



そこまで一気に喋ってから、奴は言い渋る──というよりかは「どう言ったら良いか分からない」、という風情で言葉を
濁した。



「何か言ってたんか?」

「いや、むしろこれと言って何も言わなかったっつーか・・・」

「──もういいじゃん、」



歯切れの悪い西武秩父の言葉をばっさりと切り捨てるように、東上が口を挟む。



「どうせ秩鉄の事なんか心配しちゃいないんだよ。あいつはそういう奴だ。」

「──東上、」



あまりの言いように諌めるように名を呼ぶと、東上はビクリと身を竦ませた。



「俺はそういう意味で言ったんじゃねェ。心配されてェんじゃねくって──俺が謝りてェだけだ。」



恐らくもう日付は変わっているだろう。

休日ダイヤの今日、池袋からの直通は──間違いなく止まる。



「・・・ごめん。 ・・・僕、もう関係ないのにね・・・」

「あーあーヤダヤダ! もう何でオメーはそうすぐ卑屈になるんかなー、ったく・・・」



またも泣き出しそうになってしまった東上に、西武秩父が半ば苛々したようにその言葉を受け、俯くそいつの頭を
ぐしゃぐしゃと撫で回した。



「いてっ・・・いてて・・・何すんだ、やめろ!」

「──秩鉄、別にそんな急ぐこたねェで。」



東上の首を捕らえてその頭をぐりぐりと回しながら、西武秩父は顔だけこちらに向き直る。



「池袋の奴・・・なんか様子おかしげだったから、体調でも崩してたんかも分かんねェな。」

「・・・そうか。」

「とにかくお前もよォ、あんま無理しねェで体休めて──早く復旧しろよ?」



なぁ、東上?

西武秩父は手を止め、綺麗な中分けを乱れさせた東上の顔もこちらへ向けた。


その顔は薄っすらと赤らみ、はにかむように口元を綻ばせて小さく頷く。



「──そうだな。」



ずっと体を支えていたせいで痺れかけた左手を折り、布団に身を横たえ直そうとすると──東上が西武秩父の腕を
するりと抜け、その細い腕で俺の肩を押さえ、ゆっくりと床に下ろした。



「・・・ありがとな。」

「・・・秩鉄、僕──直通とか、してなくてもさ・・・」



寄居で待ってるから、また・・・会いに来てね。


声を震わせ、目を涙で滲ませ、それでも気丈に微笑みながら──東上は言った。



「・・・ああ。」



答えてまた左手を持ち上げると──痺れたそれよりも受け取った東上の掌の方が、今度は温かかった。



「・・・じゃ、お邪魔そうな俺はそろそろ消えるけど〜・・・?」

「あ、待って! 俺ももう行く・・・!」



現実に引き戻す西武秩父の一言に急に恥ずかしくなったのか、東上は胸の辺りまで持ち上げていた俺の手を布団の中に
仕舞い込み、続いて立ち上がった。


長い区間を引っ切りなしに一日走り続けたそのつなぎは西武秩父のかっちりとした制服よりも幾分汚れ、皺が目立つ。



「東上、」

「──え?」



背を向けて出口に向かっていた体が、呼び止められてこちらを振り返る。



「お前もゆっくり休めよ。今日も早ェんだろ?」

「・・・秩鉄・・・」

「ちょっとちょっと、俺だって始発10分しか違わねんですけどー?」

「お前は時間だけだろ。本数を考えろ本数を。」

「・・・ちぇー、東上には甘ェんだからな・・・」



拗ねた長身の西武秩父が八つ当たりするように東上に絡む。

その体をうざったそうに押し遣りながら一度だけこちらにちらりと視線を寄越した東上は目が合うと小さく笑い、
「じゃぁ、」と軽く手を挙げて西武秩父を引き摺ったまま襖の向こうに消えた。



(・・・いい仲間達を持ったもんだな・・・)



西武秩父が後ろ手にきっちりと閉めていった襖をしばしぼんやりと見つめながら、俺は体が欲するままに瞼を
下ろす。


完全に視界が暗転するその直前、やや長めの金髪を揺らす青いコートの後ろ姿がちらりと浮かんだ気がしたけれど──

睡眠に向かうこの頭に、それは殆ど知覚できなかった。




>>第四話へ



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 何 だ こ の 総 攻 め 番 長 は ・ ・ ・ 。 >秩鉄


総攻めというか天然の罪作りというか・・・。
散々東上に期待を持たせておいてこの後池袋へ流れますからねこの男は。

・・・いや、悪いのは秩鉄じゃなくてこういう描き方をする私なんですが。
怒りの置石をするなら秩鉄のレールじゃなくて私の足元にどうぞ。(←別に推奨するこたない)


さて秩鉄と言えば三村運転士を「親方」と呼んでいましたが、この表現は秩鉄(パレオ)に
ベテラン運転士さんで尚且つ人望が厚い方を「親方」と呼ぶ風習があるという素敵情報を伺って、
あまりに萌えたので使ってみました表現です。

実際に三村運転士が親方と呼ばれていたかどうかは分かりませんが、まぁ雰囲気で・・・ね・・・。(汗)


さて次回はまた池袋に視点が戻ります。
恐らく池袋と東上の秩鉄取り合い合戦 罵詈雑言対決になるかと。

・・・あ、ちなみにこの話、新宿以外のキャラは全員ベクトルが秩鉄に向いてます。(爆)
西武秩父は池袋にもベクトル向きかけてますが。遊び人です、こいつは。

ただ、こいつは池袋相手だと攻めになって秩鉄相手だと受けに転ずるという私の中では珍しい
リバキャラです。 そういうシーンは出てくる予定ないですけどね・・・。