単線に、肩を並べて     第五話






事故から一夜明けた9日、16時25分。
国土交通省の許可が下り、漸く旅客輸送が再開できるに至った。


しかし──



(間に合わなかった──か・・・)



いつもの作業着の上に羽織った厚手のジャンパーのポケットから懐中時計を取り出し、一人溜め息をつく。


俺が休んでいた間も夜を徹して復旧作業は行われていた。

何とか歩けるようになった体でその現場を眺めながら、こんな事を思っては作業員に申し訳ないようだが──朝に引き
続き、夕刻に運行する西武への直通運転にも、その復旧は間に合わなかったのである。



「皆、お疲れさんだったな」



現場を後にする作業員の一人一人に、労いの言葉を掛ける。

顔には笑みを浮かべつつ、しかしその頭の中には──不機嫌そうに唇を曲げて腕組みする池袋の姿が浮かんでいた。


「不機嫌そうに」というのは俺の想像だが、しかし大方外れてもいないだろう。
直通運転を始めてからこれ迄、俺に対する奴の顔に浮かべられた表情の八割方はそんな表情だと言っても良い。


ただでさえ──何もしていなくたって、一言も聞かない内からそんな顔をしているのだ。

そこへ来て、こんな事故による運休という迷惑を被らせてしまったとあっては──場合によっては不機嫌を通り越して、
顔すら合わせる事を許されないかも知れない。



(参ったなァ・・・)



自然と、再びの溜め息が零れていた。

何故だろうか。妙に重苦しく塞がるような──そんな痛みが胸に走る。


昨夜、西武秩父や東上と顔を合わせた時にも胸は痛んだ。
心配させて、迷惑を掛けてすまなかったという思いで一杯になった。

しかしその一方で──「相手の方から会いに来てくれた」という、そんな安らぎや喜びもまた感じていた。
甘えのようだが、それ故に随分と呑気な気持ちであの二人と向き合っていたというのもまた事実だった。


昨夜、池袋は来なかった。

連絡を取り合っていたらしい西武秩父は「体調を崩していたのかもしれない」と言ってはいたが、それでも奴の直接の
反応を、俺はまだ知らない。


会いたい、会って詫びたい。そう思う


しかしこれもまた──どこかで、躊躇する気持ちもあった。



(奴が本当に──顔も合わせてくれなかったら?)



振り返らないその後ろ姿を想像すると、またも妙な悲しみと恐ろしさが湧き起こって気分が沈みそうになる。

どうしてそうなってしまうものか、自分でもよく分からなかった。



『貴様には付き合ってられん!』



そんな捨て台詞を吐いて踵を返してしまう姿を見るのはしょっちゅうだ。
でもその度に、俺は笑ってやり過ごせていたはずだ。所詮冗談に過ぎないと。

そして事実、次の日にでもなればまた奴はいつもと変わらず──仕事上の仕方なさと割り切っているのかも知れないが、
への字に曲げた唇をまた俺に見せてくれた。



『次は承知しないからな』



その「次」を──もう何度、猶予して貰っているだろうか。


今度こそ、「次」は許されないかも知れない。


冗談や洒落で片付けられない「脱線事故」という現実への後悔が、今更ながらに苦しく込み上げて来た。



(──とにかく・・・帰らねェとな)



列車が横転した時、携帯電話を壊してしまった。

考えると辛くなる池袋の事は一先ず差し置き、せめて西武秩父にだけでも復旧の連絡を入れておかなくては──と、
俺は広瀬川原の宿舎まで戻るべく、まだ少し痺れの残る足を線路沿いに歩かせた。


日が暮れて行く。
染みるような冷気の中、右腕を負傷したせいで袖を通せないジャンパーの前を掻き合わせながら歩いた。

ジャリ、ジャリ、と鳴るバラストの音だけをただただ聴きながら俯いて歩いていると、



「よォ、」



掛けられた声に顔を上げ、知らぬ間に事故現場である影森の隣──御花畑駅へ着いていた事を漸く悟った。



「どした、秩鉄。じーさんみたく背ェ丸めちまって」

「──西武秩父・・・」



普段着用している青いコートよりも更に厚手の、高い背丈によく似合う濃紺のロングコートを纏ったその男が、
凭れていた改札の柵を飛び越えてホームに降り立つ。



「西武秩父駅に居たらお前んトコの職員から復旧の連絡があったからさ、もしかしたら通んじゃねェかと思って」



妙な不安でぼんやりしている内に既に周りは動いていてくれたのだ。

それを自覚して何だか情けない気持ちになり、俺は「そうか」としか答えられず苦笑した。



「しっかし一日で復旧って・・・まぁ、お前ンこと見くびってた訳じゃねェけどさ、驚きだで」



感心を通り越して呆れているようにも見える表情でホームの端にしゃがみ込んだ西武秩父に、俺はまたも苦笑する。



「夢中んなってたからな・・・」



並走する他路線など無い、止まったら代替手段がバスしかない、そんな希少な位置に居る鉄道路線だ。
走れない苦しみと走りたい欲望は人一倍痛感してしまうのだろう。


それに──



「お前らとも、早く直通回復しねェと、って・・・思ってたかんな」



言って、また件のあの男の顔が頭に浮かび──



「・・・池袋は、」



俺は続けてその名を零していた。



「──池袋にも、連絡は行ったかさ?」



線路上から西武秩父を見上げると、奴は少しだけ目を丸くする。



「まだ連絡してなかったん?」

「・・・あぁ。お前にだってまだこれから、って思ってたしな」

「じゃあ──」



すると奴は笑みを浮かべ、コートの懐から携帯電話を取り出して俺に差し出した。



「使えよ。番号入ってっから」



てらいの無い、純粋な親切心で差し出されるその機器を──しかし俺は受け取るのを躊躇した。



「どした? もう俺みたく連絡行ってっかも知んねェけど、それだってお前からも報告した方がいいだろ?」



西武秩父の言う意味は良く分かる。俺だって無事と詫びを伝えたい。


けれどどこかでやはり──職員でも、目の前にいる西武秩父でも、代わりに誰かが伝えてくれたら、とも思って
しまう。

そうして、それによって奴はどんな反応をするのか──奴の方から、俺に会いに来てはくれるのか。
会いに来てくれたなら、それをこの目で確認できてからなら、俺は安心して・・・笑顔で奴に向き合えると思うのだが。


そんなずるい考えが、頭の中を何度も過ぎっていた。



「・・・・・ったく、お前もか・・・」



ひゅう、と風が通り抜け、いつの間にやら随分と暗くなっていた空を見上げて西武秩父が溜め息混じりに呟いた。



「・・・え?」



今度は意味を理解できず、訊き返す。



「お前なら、もうちっとストレートに行くかと思ってたんだけどなァ・・・」

「──だから、何・・・」

「お前、」



手にしていた携帯で、俺の眉間をびしりと指す。



「これ以上池袋ンこと──泣かしたかァねェだろ?」

「・・・は・・・?」



俺は殆ど反射的に身を乗り出し、差し出されていた西武秩父の腕を掴んでいた。


池袋が──泣いていた?

文脈不明なその言葉に、それでもそこに含まれていた単語だけで、俺は過剰なほどに反応していた。



「──どういう事だ?」



また風が通り抜け、肩に掛けていたジャンパーが滑り落ちる。

西武秩父はまた少し目を丸くして──今度ははっきりとした呆れ顔で溜め息を零した。



「どういうもこういうもなかんべ」

「・・・?」

「お前が望んでる通りだ、恐らく」



俺が望む通り?


泣き顔なんて望んじゃいないが──その奥にある涙の理由は、俺に都合良く解釈してしまっていいのだろうか。



「今朝な、」



掴んでいた俺の手を剥がし、奴はその跡をさすりながら言葉を紡いだ。



「直通が回復したら、それに載せてお前んトコに連れてってやる、って池袋に約束したんだ」



携帯電話を懐へ仕舞い直しながら、西武秩父は珍しく静かな口調で言葉を続ける。



「そん時ァまさかこんなに早く復旧するなんて思わんかったけど、でも──」



真っ直ぐな視線を寄越し、今度は伸ばした人差し指で俺を指した。



「やっぱりそれじゃ遅いな。明日の朝なんて、待てねェだろ?」



会いたいくせによ。お前もアイツも。


人差し指が拳に変わり、俺の額をコツリと打つ。

包帯は取ったものの、痣になっていた場所に当たった痛みに顔を顰め──しかしむしろそれで思考を冴え渡らせる
ように、俺は西武秩父の言葉の意味を咀嚼していた。



(奴は──会いたがってんのか?)



会えるのか? 会っていいのか?


様々にニュアンスを変え──それでも変わらない、俺の中に確固として据わる「会いたい」という気持ちのままに、
俯けていた顔を上げた。



「やーっと決心ついたか?」



ニヤリ、と口角を上げる西武秩父の顔を横目に捉える。

それで俺も笑みを返すと、奴は「ははっ」と声を上げてもう一度笑った。



「今から急ぎゃ、ギリギリ特急に乗せてやれるで?」



仰々しく腕を振り上げて時計の時刻を確認しながら、奴は線路に降りて俺の落としたジャンパーを拾い上げた。



「・・・今夜は雪だとさ、」



呟いて、奴はそれを俺の肩に掛け直す。



「寒さにかこつけたっていいからよ、奴の傍に行ってやってくれィな」



きっと、ずっと待ってたんだ。アイツは。


スッと目を細めながら、心の底からの思いやりに溢れた声色で漏らされる西武秩父の言葉に──俺は頷いた。


俺も、本当はもっと──ずっと傍に居たかったのだ。


派手な金色の髪に、金色の瞳、真っ青なコート。
こんな田舎に居てはそうそう見慣れない、違和感だらけの格好をした珍妙な路線だと、最初は正直そう思っていた。

しかし付き合って行くうちに聞かされる「武蔵野鉄道」という名だった頃の苦労話やそれを救ってくれた会長さんの
話、そこから踏み出した輝かしい(と自称する)西武の歴史・・・そんな一つ一つを至極大事そうに、誇らしく語る
姿が見えてきた。


会長さんへの敬意に裏打ちされた強い使命感とひたむきさ。

誰に媚びる事もない凛としたその姿から滲み出てくるそれに、いつからか惹かれていた。


その眩しさを、ずっと見ていたいと思った。



「・・・あー、結構時間ギリかなァ、」

「走るぞ」

「──あ?」



再度時刻を確認しながら首を捻る傍らの男をよそに背後を振り返ると、西武秩父駅のホームから漏れる明かりが
この場所からも見て取れた。


こんなにも近くにあるのだ。奴の元へと続く道は。



「・・・特急ホームはいっちばん向こうだで?」

「すぐだよ、この足がありゃァな」



土埃に汚れたズボンの膝を掌で叩いて見せる。もう痺れは感じなかった。

すぐにでも、走り出せそうな気がした。



「駆け込み乗車はやめろよー?」

「余裕で着いてみせらィな」



踵を返し、枕木を蹴ってスタートを切る。


追って来る西武秩父の足音も聴きながら、冬の空にはチラチラと雪が舞い始めていた。




>>第六話へ



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秩鉄も漸く自覚したようです。(←他人事)

恋のキューピッドはまたまた西武秩父でした。
いっつも苦労掛けて・・・というか損な役回りにさせちゃってごめんよ。
君には小さい頃から随分とお世話になっているというのに・・・。(←個人的事情)


前話の更新から間を空け過ぎていて、自分でも予想外の展開になってきています。(汗)
が、恐らく次辺りで終わりを迎えられるのではないかと思うのでもう少々、お付き合いいただけたら幸いです。


・・・しかし私という奴は本当に「勝手にマイナス思考してウジウジ悩む話」を書くのが好きだな。

「お前なら、もうちっとストレートに行くかと思ってたんだけどなァ・・・」という西武秩父の台詞は
自分へのツッコミでもあります。秩鉄はあまりそういうキャラにしたく無かったので・・・。


あ、あと9日の夜に雪が降ったのは多分事実・・・なはず。 飯能と東京は降ってました。(笑)
話中のこのタイミングで降り始めたというのは都合のいい捏造設定ですがー。